はじめに
筆者らは、いずれも日常的に国際商事紛争を含む国際法務に関するご相談に対応しているが、企業が国際商事紛争に巻き込まれるリスクは、グローバル化の進展とともに拡大の一途を辿っていることを痛感する。国際商事紛争は係争規模が大きく、紛争解決コストも増大する傾向にあるため、その解決をいかに上手く図るかは、海外で事業活動を営む企業はもとより、海外にサプライチェーンを構築している企業にとっても、今や非常に重要な経営課題の一つである。
本稿は、かかる経営課題に企業の皆様が対処される際の一助として、国際商事紛争の主たる解決方法として従来から活用されている仲裁のほか、今後更に活用されることが予想される調停に焦点を当て、予防法務として重要となる紛争解決条項のドラフティングから紛争顕在化後のフローや留意点まで、実務的な観点からできる限り網羅的に概説することを試みるものである。
仲裁条項・調停条項のドラフティング
仲裁条項・調停条項の意義
(1) 紛争解決を付託する機能(仲裁合意・調停合意)
仲裁手続または調停手続を開始するためには、紛争当事者が、当該紛争の解決を仲裁手続または調停手続に付託する旨を合意していること(仲裁合意・調停合意)が必要である。すなわち、仲裁合意・調停合意(以下「付託合意」という場合がある)は、当該紛争の解決を仲裁手続・調停手続に付託するという本質的機能を有するものである。
このような付託合意は、当事者が契約書等に紛争解決条項を設けることにより事前になされる場合と、紛争が顕在化した後に事後的になされる場合があるが、実務的には、事後的な合意形成は困難である場合が多いため、あらかじめ契約書等に紛争解決条項を設けておくのが一般的である。
(2) 妨訴抗弁機能
付託合意が存在するにもかかわらず一方当事者が裁判所に提訴した場合、提訴された相手方が、付託合意の存在を理由として当該訴えに抗することができるか否か(付託合意が妨訴抗弁となりうるか否か)は、付託合意にどのような訴訟法的効果を認めるかという問題であり、法廷地法(受訴裁判所が所属する国または地域の法)により定められる。
この点、仲裁合意に関しては、日本の仲裁法は、有効な仲裁合意が認められる場合、原則として、「受訴裁判所は、被告の申立てにより、訴えを却下しなければならない」と規定しており(仲裁法14条1項本文)、仲裁合意が妨訴抗弁となることを認めている。
他方、調停合意に関しては、日本の法令上、仲裁合意と同様の妨訴抗弁機能を認める規定は存在しない(なお、ADR法(裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律)26条1項2号は、当事者の共同の申立てがある場合に、裁判所は訴訟手続を中止する旨の決定をすることができる旨を規定している)。
もっとも、関連する裁判例として、調停合意(ただし、調停が奏功しない場合は訴訟により紛争解決を図る旨の合意である)が存在するにもかかわらず、調停手続を履践せずに訴訟提起された事案において、一審判決(東京地裁平成22年12月8日判時2116号68頁)と控訴審判決(東京高裁平成23年6月22日判時2116号64頁)とで結論を異にした事例がある。
すなわち、一審判決では、かかる調停合意は、仲裁合意や不起訴合意にはあたらないものの、対象となる紛争に関して契約当事者が一定の手続を履践するまでは訴権を制限したものであると解するのが合理的であり、かかる合意も当該合意自体が公序良俗に反するなどの事情がない限り有効であるから、当該調停合意に反して提起された訴えは不適法であるとして却下した。
これに対し、控訴審判決は、訴訟に関する合意に訴訟要件の欠缺という訴訟上の効力を認めるには、当該効力が憲法32条に規定する国民の裁判を受ける権利の喪失を来すものであることを考慮せねばならないことを前提として、かかる調停合意は将来の訴訟提起の可能性を認める合意(訴訟を最終的な紛争解決手段として位置づけている合意)であるところ、調停手続は紛争を最終解決に導く保障を有しておらず時効中断効も認められないこと、ADR法26条1項2号は、当事者間に認証紛争解決手続によって紛争解決を図る合意がある場合には、当該紛争解決手続を経ずに提起された訴訟でも、裁判所が訴訟手続きを中止する旨の決定をなしうるのは格別、訴訟要件を欠くものとして不適法却下してはならないとの考え方を前提としていると解されるうえ、当事者共同の申立てがなければ、却下判決ができないことはもちろん、訴訟手続を中止することも許されず、裁判の審理を続行することを受訴裁判所に義務づけていると解されるところ、上記調停合意における民間調停は認証紛争解決手続に類する手続と認められること等から、かかる調停合意に訴訟要件欠缺という訴訟上の効力を認めるのは不適切であるとして原判決を取り消し、原審に差し戻したものである。
ドラフティングのポイント
(1) 仲裁条項
(a) 一般的な仲裁条項
仲裁合意が有効であると認められるためには一定の要件を備えている必要があり、不正確または不十分な記載により実質的要件を欠く場合や、方式の不備により形式的要件注1を欠く場合には、仲裁合意の効力が否定され、仲裁判断を得ることができなかったり、仲裁判断が取り消されたりする可能性がある。仲裁合意の有効性を確保するためには、仲裁機関が策定・公表しているモデル仲裁条項をそのまま利用することが望ましく、多義的に解釈されうる複雑な仲裁条項を設けることは避けるべきである。
契約実務では、仲裁条項に含まれる各文言が、仲裁合意の有効要件との関係においてどのような機能を果たしているのかを正しく理解することが重要である。
そこで、以下では、一般社団法人日本商事仲裁協会(JCAA)のモデル仲裁条項を例として、同条項の各文言が果たす機能について概観する。
図表1 JCAAのモデル仲裁条項
この契約から又はこの契約に関連して生ずることがあるすべての紛争、論争又は意見の相違は※1、一般社団法人日本商事仲裁協会の商事仲裁規則に従って ※2仲裁により最終的に解決されるものとする。仲裁地は(国名及び都市名)※3とする。
All disputes, controversies or differences arising out of or in connection with this contract※1 shall be finally settled by arbitration in accordance with the Commercial Arbitration Rules of The Japan Commercial Arbitration Association. ※2 The place of the arbitration shall be [city and country]. ※3
※1 紛争対象
一般的に、仲裁合意は、一定の法律関係に関する紛争を対象としたものであることが求められる(仲裁法2条1項参照)。モデル仲裁条項における当該文言は、当事者が仲裁に付託する一定の法律関係に関する紛争の範囲(仲裁により解決される紛争対象)を特定する機能を果たしている。
なお、「この契約から生じることがあるすべての紛争」と規定すると、契約法上の請求だけが対象となり、不法行為法上の請求等は対象とならないと解されるおそれがあるため、「又はこの契約に関連して生ずることがある」という部分も加えることにより、上述した一定の法律関係の範囲内で、できるだけ網羅的な規定となるように工夫されている。
※2 仲裁規則・仲裁機関
当事者が機関仲裁注2を選択する場合、仲裁機関を合意する必要がある。モデル仲裁条項における当該文言は、仲裁機関を「一般社団法人日本商事仲裁協会」とすることに加えて、仲裁手続に適用される規則についても、同協会の「商事仲裁規則」とすることを合意した旨を表している。
なお、代表的な国際仲裁機関としては、ICC(国際商業会議所)、LCIA(ロンドン国際仲裁裁判所)、ICDR(国際紛争解決センター)、SIAC(シンガポール国際仲裁センター)、HKIAC(香港国際仲裁センター)、JCAA(日本商事仲裁協会)等が存在する。
また、①仲裁費用、②迅速手続・簡易手続の有無・内容、③緊急仲裁人制度の有無等は、選択する仲裁規則によって異なる。
※3 仲裁地(place/seat)
モデル仲裁条項における当該文言は「仲裁地(place/seat)」の合意であり、仲裁手続法(lex arbitri)の合意を意味する。
たとえば、日本を「仲裁地(place/seat)」とする合意は、概ね、次のような法的効果をもたらす。
・ 仲裁手続の進行は日本法(仲裁法等)に基づく。
・ 仲裁合意の成立・効力は、別途合意がない限り、通常は日本の仲裁法に基づいて判断される(ただし、この点については諸説あり、事案により異なる可能性はある)。
・ 仲裁手続開始前または進行中の保全の可否やその手続は日本法に基づく注3。
・ 仲裁判断の承認執行の場面では、日本以外の国での承認執行の場合において、外国仲裁判断としてNY条約の対象となる。
・ 仲裁判断の取消手続の管轄裁判所は、日本の裁判所となる。
なお、「仲裁地(place/seat)」と似て非なる概念として、「仲裁審理場所(venue)」がある。「仲裁審理場所(venue)」は、現実に仲裁手続が行われる物理的な場所を指す。当事者の合意により、「仲裁地(place/seat)」以外の場所を別途「仲裁審理場所(venue)」と定めることができる。
※ その他
このほか、一般的に仲裁条項で規定されるのは、仲裁人の人数(1人または3人)や仲裁言語(仲裁手続に使用される言語)等がある。もっとも、これらについては、仲裁申立後に合意することも可能であり、また、合意を欠く場合には仲裁規則に従って決定されるのが通常であるため、仲裁合意の有効性に影響を及ぼすものではない。
(b) 実務上のポイント・留意点
■ 仲裁地の選択に関する交渉
前述のとおり、「仲裁地(place/seat)」の合意は「仲裁手続法(lex arbitri)」の合意を意味するため、仲裁合意の当事者は、通常、法体系に最もなじみのあるそれぞれの自国を「仲裁地(place/seat)」とすることを望む。そのため、「仲裁地(place/seat)」に関する交渉は容易に決着をみないことがある。
そのような場合、実務的には、各当事者の自国以外の第三国を選択するか、交差型仲裁条項(申し立てられた側の所在国を「仲裁地(place/seat)」とする条項)を設けることで合意するのが通常である。いずれの方法も、契約条件としての当事者間の公平を一定程度担保することができるからである。
なお、第三国を「仲裁地(place/seat)」とする場合は、ニューヨーク条約の加盟国であり、「仲裁地(place/seat)」として指定された実績のある国・地域、すなわち国際仲裁に関する実務や裁判例の集積がある国・地域(たとえば、ロンドン、ニューヨーク、パリ、スイス(ジュネーブ)、香港、シンガポール等)を選択すると、仲裁手続の進行等につき一定の予測可能性が担保できるほか、現地において仲裁人や仲裁代理人を選択する場合の選択肢が広がることも期待しうる。
■ 誤解しやすい点
筆者らの経験上、いわゆる準拠法条項と、紛争解決条項における紛争解決地に関する条項(たとえば仲裁条項における「仲裁地(place/seat)」や「仲裁審理場所(venue)」に関する規定)のうち、いずれか一方しか規定されていない契約書や、これらが混同されている契約書を目にすることがある。
この点、準拠法条項は、契約の成立や有効性および契約に基づき生じる権利義務の解釈につき準拠すべき法律を定める規定であり、契約に起因または関連する紛争の解決方法如何とは無関係であるうえ、仲裁条項における「仲裁地(place/seat)」や「仲裁審理場所(venue)」の合意を必然的に代替するものでもない。したがって、準拠法条項の規定と、紛争解決条項(紛争解決地に関する条項を含む)の規定は、必要に応じて、各別に設ける必要がある。なお、上記理由から、契約準拠法となる準拠法国と紛争解決地とを必ずしも一致させる必要はない。
また、仲裁条項と裁判管轄条項が併記された契約書も散見されるが、当事者間の仲裁付託合意に疑義が生じて仲裁条項が無効になる可能性があるため、避けるべきである。
(2) 調停条項
(a) 多段階紛争解決条項
調停は、当事者が和解合意に至らなければ紛争の終局的解決を図ることができないため、契約書に調停付託合意を設ける場合は、調停で和解合意に至らない場合の手当てをしておく必要がある。
実務的には、調停で和解合意に至らなかった場合は仲裁または訴訟に移行する旨の規定や、まずは当事者間の協議および交渉等を試み、次いで調停を、それでも和解合意に至らなければ仲裁または訴訟へ移行する旨を定める多段階紛争解決条項(Tiered Dispute Resolution Clauses)(以下「TDR条項」という)を設ける場合がある。
図表2は、一般社団法人日本商事仲裁協会(JCAA)のTDRモデル条項である。
図表2 JCAAのTDRモデル条項
当事者は、この契約から又はこの契約に関連して生ずることがあるすべての紛争、論争又は意見の相違(以下、「紛争」という)の解決のために、誠実に協議するように努めなければならない。一方の当事者が相手方の当事者に対し、協議の要請を行った日から[2]週間以内に、協議によって紛争が解決されなかったときは、当事者は一般社団法人日本商事仲裁協会(以下、「JCAA」という)の商事調停規則に基づく調停を試みるものとする。当事者はその申立ての日から少なくとも[1]カ月、誠実に調停を行わなければならない。上記の調停によって紛争が解決されなかったときは、紛争はJCAAの商事仲裁規則に従って仲裁により最終的に解決されるものとする。仲裁地は日本国東京とする。
The parties shall attempt to negotiate in good faith for a solution to all disputes, controversies or differences arising out of or in connection with this contract (hereinafter referred to as "disputes"). If the disputes have not been settled by negotiation within [two] weeks from the date on which one party requests to other party for such negotiation, the parties shall attempt to settle them by mediation in accordance with the Commercial Mediation Rules of the Japan Commercial Arbitration Association (hereinafter referred to as "JCAA"). The parties shall conduct the mediation in good faith at least [one] month from the date of filing. If the disputes have not been settled by the mediation, then they shall be finally settled by arbitration in accordance with the Commercial Arbitration Rules of the JCAA. The place of the arbitration shall be Tokyo, Japan.
調停を含むTDR条項を設ける場合、最終的な紛争解決手続に至るまでに求められる各段階の手続(調停を含む)を試みる期間を明記しておく必要がある。期間を明記していなければ、当事者の一方が各段階の手続を不当に長引かせようとする場合に、当該条項が足かせとなり、紛争解決がかえって遅れる可能性があるからである。
この点、モデル条項では、協議の要請を行った日から2週間以内に協議により紛争が解決されなければ調停に移行し、調停の申立ての日から1か月以内に調停により紛争が解決されなければ仲裁に移行する旨が明記されている。
また、当事者が紛争解決手続の一つとして調停を組み込み、かつ、機関調停を選択する場合には、調停機関を合意する必要がある。国際調停機関としては、ICC(国際商業会議所)、SIMC(シンガポール国際調停センター)、JCAA(日本商事仲裁協会)等のほか、平成30年11月に開設されたJIMC-Kyoto(京都国際調停センター)がある。
(b) 実務上のポイント・留意点
■ 調停手続の履践を義務化するか否か
紛争解決手段の一つとして調停を組み込む場合、調停による紛争解決を必ず試みなければならないのか、調停による紛争解決を試みることができるにとどまるのかについては、紛争解決条項において明確に規定しておくべきである。
調停による紛争解決の試みを義務化する場合、紛争解決手続を申し立てる側からすると、およそ和解合意に至る可能性がないと予想される紛争についても調停前置を余儀なくされ、紛争状態がいたずらに長期化するリスクが懸念される一方注4、調停を試みることができるとするにとどめる場合、申立てを受ける側からすると、紛争解決コストが相対的に低く、早期かつ友好的解決の可能性を残す調停手続を活用する機会が、申立人側の一方的判断によって奪われてしまうというリスクが懸念されるところであり、その調整をどう図るかがポイントになるであろう。
筆者らの私見では、上述のとおり、調停を試みる期間を明記しておけば、たとえ調停前置を義務化したとしてもいたずらに紛争状態が長期化するというリスクは回避できると考えられるため、紛争解決手段の一つとして調停を組み込むのであれば、特段の事情がない限り、調停前置を義務化する旨を規定しておくことが望ましいのではないかと考える。
紛争発生時の実務的対応
初動対応
それでは、実際に相手方との間で具体的な紛争が発生した場合、あるいは紛争の発生が予見される場合、どのように対応すべきか。
一口に紛争の発生といっても、相手方から訴訟、仲裁もしくは調停の申立てを受けた場合や、相手方の代理人弁護士から書面によるクレームを受領した場合、あるいは更に前段階の、定められた期限に債務の履行がなされない場合や、製品瑕疵の主張がなされた場合等さまざまありうるが、ここでは法的手続の開始以前の、比較的早期の場面を想定する。
紛争発生時の初動対応として何を措いても重要であるのは、いうまでもなく事実関係の確認である。
法務部門は、事業部門と連携して、当該紛争に関する契約関係を速やかに把握したうえ、関連する資料(相手方とのメールのやりとり、打合せの議事録、技術的事項を理解するための社内外の資料等)を収集・精査し、必要に応じて外部法律事務所も起用して、法律上および事実上の問題点を把握しなければならない。このような作業を経て、紛争の初期段階で事案の帰趨に関する適切な見立てを行うことは、適切な紛争解決手段を選択し、紛争をより良い解決に導くにあたって必須のプロセスである。
あわせて、取引契約における紛争解決手段の定めの有無および内容を確認し、交渉により任意に紛争を解決することができない場合にとりうる法的手続を把握するとともに、債権回収を行う場面では、後述する保全手続をとる必要性の有無についても検討する必要がある。
紛争解決のための法的手続としては、基本的には契約の定めに従った手続を選択することになるが、たとえば合意管轄の定めや仲裁合意が存在する場合でも、当事者双方が合意すれば調停を行うことは可能である。そのため、紛争当事者としては、契約に定められた法的手続を基本としつつも、これに拘泥することなく、事案の見通しや相手方との関係性等を踏まえて適切と考えられる方法を柔軟に検討すべきである(手続の選択に際して考慮すべき事項については、「最新法務課題 Monthly Pick Up[第37回]国際商事紛争における仲裁・調停の活用―シンガポール条約の批准を受けて―」を参照されたい)。
また、契約において定められた紛争解決手続によって得られた判決等の執行可能性に疑義がある場合にも、他の方策を模索する必要がある(たとえば、中国では日本の裁判所による判決を執行することができないにもかかわらず、中国での強制執行が必要である事案につき、紛争解決条項において、日本の裁判所における訴訟によって紛争を解決すべき旨が規定されている場合には、別の紛争解決手続を検討しなければならない)。
そのうえで、多くの場合は法的手続に先立って交渉による解決を図ることになる。早期に紛争を解決することができれば、法的手続をとる場合と比較してリーガル・コストが遥かに低く済み、また、交渉を通じて相手方の主張も把握することで、事案についてより確度の高い見通しを立てることにも資する等のメリットが存在するからである。
保全手続
企業間紛争の多くは、一方当事者が相手方から金銭の支払い等の財産的給付を得ることを最終的な目的としているが、特に法的手続を経る場合には、解決までに相当の時間を要することになり、その間に相手方の財産が隠匿ないし費消されてしまったときには、多大な労力とコストを投下して得られた判決、仲裁判断あるいは調停における和解合意は絵に描いた餅となる。
そのような事態を防止するべく、紛争が解決するまでの間暫定的に相手方の財産につき処分を禁止するための手続が保全手続であり、日本においては、民事保全法に基づく仮差押えおよび仮処分がこれに該当する。
なお、保全手続は上記のとおり暫定的に相手方財産の現状維持を求めるものであり、紛争そのものを解決する手続ではなく、仮に当事者間の契約に仲裁合意が定められていたとしても保全手続を行うことは否定されない(仲裁法15条)。
また、各仲裁機関が定める仲裁規則においても、仲裁廷による暫定的な保全措置に関する定めが設けられており(UNCITRAL仲裁規則26条、日本商事仲裁協会仲裁規則71条以下等)、このような措置にどこまでの強制力を認めるかは各国の国内法の定めによるが、日本においては、同様の措置が仲裁法24条の「暫定保全措置」として制度化されており、令和5年仲裁法改正により、その執行に関する定めが導入されたところである(仲裁法47条以下)。
日本企業からみた場合、国際紛争において強制力を持った保全手続を行うためには、相手方ないしその財産の所在国の法令に従い、当該国の裁判所において必要な手続を行うべきことになるため、現地専門家との間でスピーディに連携することが必要である。
仲裁による場合
当事者間に仲裁合意があり、仲裁手続による紛争処理が行われる場合、主な手続の流れは図表3のとおりである注5。
図表3 仲裁手続による紛争処理が行われる場合の主な手続の流れ
(1) 仲裁申立書、答弁書
訴訟手続における訴状および答弁書に相当するもので、申立書においては、仲裁合意の援用等が必要となる。
(2) 仲裁人の選任
仲裁人の選任は、仲裁合意によって人数や指名権者が定められている場合が多く、そうでない場合は、各仲裁機関等の仲裁規則に基づいて選任される。
仲裁人3人の事案では、両当事者がそれぞれ1人ずつを選任し、当該仲裁人らまたは仲裁機関が残りの1人を選任することが多い。仲裁人の選任にあたっては、各仲裁機関が仲裁人名簿を用意しているほか、当事者や代理人が事案の内容等に応じた適任者を推薦することもある。
(3) 手続について
手続のルールや進行については、仲裁廷に広範な裁量が与えられており、事案の内容等に応じて、当事者の意見も聴取しつつ決定されることになる。
手続に関しては、序盤において、以下の書面が作成されるのが一般的である。
① Terms of Reference(付託事項書):仲裁廷が作成し、両当事者が署名する書面で、当事者や連絡方法等の手続的な事項に加えて、準拠法、適用規則や、主要な争点案が記載される。
② Procedural Order(手続命令):仲裁判断までのスケジュールや、証拠開示、証人尋問の方法その他手続における詳細なルールについて定めた書面。
(4) 主張書面について
日本の訴訟手続のように、原則として特に通数制限なく準備書面のやりとりを繰り返すのではなく、お互いにあらかじめ合意された通数の書面(たとえば申立書・答弁書を除いて1~2通程度)を交互に提出し、審問へ進むというケースが多い。
主張書面には、書証や証人陳述書等も添付され、書証については、仲裁言語以外で記載されている場合、仲裁言語へ翻訳したものを提出する必要がある。書証の翻訳については、翻訳業者の認証が要求されるケースもあり、費用面でも留意が必要である。
(5) 証拠開示手続
証拠開示手続については、各仲裁機関の仲裁規則においてもその方法等の定めがないことが多く、各仲裁廷が事案に応じて実施の有無やルール等について決定する。
その際、IBA(国際法曹協会)の定めるRules on the Taking of Evidence in International Arbitration(証拠調べ規則)に準拠またはこれを参照することが多く、当事者が相互に相手方に対して、紛争と関連性を有する相手方保有文書について文書提出要求を行い、仲裁廷が提出命令を行うという手順が一般的である。
(6) 審問
書面による主張がなされた後は、審問期日が開催される。
双方からOpening Statementという冒頭陳述がなされた後、双方の申請した証人の尋問が行われるのが通常である。証人尋問においては、日本の訴訟手続と同様、主尋問、反対尋問、仲裁廷からの補充尋問という流れで行われることが多い。国際紛争で、仲裁廷に明らかでない現地法令等の解釈が問題になるケースでは、各国の法律家を専門家証人として立てることも検討される。
尋問においては、当事者が合意した書証の写し(Hearing Bundles)が証人の目前に置かれ、これらを参照しながら質問に答えさせるという手法が取られることもあり、証人においては、各書証の位置づけや意味合いを適切に理解させておくことが求められる。
(7) 仲裁判断
審問が終われば、基本的には仲裁判断が下されることとなる。
この間に最終準備書面の提出が認められることもある。また、事案によっては、この段階で当事者間での和解協議を行い、あるいは調停等を利用することにより、仲裁判断前に和解による解決を目指すケースも存在する。そのほか、仲裁費用についての負担命令(Cost Order)の申立てについても、審問後に行われることがある。
仲裁判断は、原則として上訴等によって争うことはできず、ここでの判断が当事者を拘束する。
調停による場合
(1) 手続全体の流れ
調停手続を大きく分けると、
・調停機関が運営する機関調停
・当事者が合意のうえで選任した調停人と当事者のみで行うアドホック調停
に分類される。
前者の場合、各調停機関の定める調停規則に則ることになるが、仲裁手続に比べると手続は簡素であり、柔軟な運用がなされる。
多くのケースでは、双方が調停人に対して事案の概要を明らかにする主張書面を提出し、その後は調停期日において調停人を介して当事者間での和解交渉が行われるという流れになる。
(2) 調停期日の流れ
調停期日における和解交渉の進め方は、調停人の差配によるところが大きいが、国際商事調停においては、日本の裁判所における調停でよく行われる、双方が交互に調停室に入退室して調停人とやりとりする方式に加え、双方の当事者および代理人が一堂に会し、直接やりとりを行うのを、調停人が補助するという方法がとられることも珍しくない。当事者としては、相手方の交渉スタイルや、調停人の好む手法等について事前に分析したうえで、戦略的な交渉を行う必要がある。
また、多くの場合、調停期日は1日または2日程度のみ設定され、ここで和解合意に至らなかった場合には、調停不成立として仲裁・訴訟等に進むこととなる。
当事者間の和解合意の内容が固まれば、調停期日当日に和解合意書に署名するところまで進むケースも存在する。
調停期日後、交渉を継続し、改めて期日外で和解契約を行うことは否定されないが、相手方の翻意の可能性や、調停による和解合意の執行可能性の観点から、可能であれば調停手続内で和解合意書の締結まで行うことが望ましい。
(3) 調停に臨む際の留意点等
上記(2)のとおりであるため、調停期日に臨む際には、和解における応諾可能ラインを検討したうえで、その範囲内での和解については、当日出廷する者に締結権限を付与しておく等の対応が望ましい。
また、調停はあくまで当事者間の合意に基づく紛争解決を目指す手続であり、そこでなされる和解合意の内容は必ずしも対象となる紛争に関する権利義務に限定されるものではなく、たとえば、将来の取引関係における優遇措置等、柔軟な譲歩が可能であるため、このような係争の対象以外についても決定権限を有する役職者が参加するか、少なくとも当日電話等でやりとりができる状態で待機していることが理想的である。
仲裁判断・調停による和解合意の執行
仲裁判断または調停による和解合意において、請求権が確定した場合、(特に和解合意では)任意の支払い等がなされるケースも多いが、任意に履行されないときには、強制執行の申立てが必要となる。
仲裁判断および調停による和解合意の執行可否や手続については、強制執行手続を行う国の法令によって異なるものの、ニューヨーク条約の加盟国においては、例外的な事由(仲裁手続の重大な瑕疵や公序良俗違反等)がない限り、外国の仲裁判断の承認・執行を拒絶することができないとされている(ただし、ニューヨーク条約は、加盟国に対して、相互主義方式の採用を認めており、その場合、他のニューヨーク条約加盟国での仲裁判断に限って自国における承認・執行が義務づけられる。日本も相互主義を採用している)。
また、シンガポール条約により、国際調停における和解合意(国際和解合意)についても、一定の要件のもとに執行が可能となった(なお、国際和解合意の執行に関するシンガポール条約に関しては、「最新法務課題 Monthly Pick Up[第37回]国際商事紛争における仲裁・調停の活用―シンガポール条約の批准を受けて―」を参照されたい)。
たとえば、日本において、仲裁判断または国際和解合意に基づき強制執行を行う場合、日本の裁判所に対して、執行決定の申立てを行う必要があり(仲裁法46条、調停による国際的な和解合意に関する国際連合条約の実施に関する法律5条)、これにより、仲裁判断に執行力が付与され、確定判決による場合等と同様の強制執行申立てが可能となる(民事執行法22条6号の2・6号の4)。
→この連載を「まとめて読む」
- 日本の仲裁法は、仲裁合意は、当事者全員が署名した書面によりなされることを求めている(仲裁法13条2項から6項)。[↩]
- 本稿では詳細を扱わないが、仲裁事件の管理を仲裁機関に委ねる機関仲裁のほか、手続の進行管理がすべて仲裁人を含む当事者に委ねられるアドホック仲裁を選択することもできる。[↩]
- 日本の仲裁法は、本文Ⅲ2で述べるとおり、令和6年4月1日、仲裁判断までの間に権利・証拠を保全するための仲裁廷の命令(暫定保全措置命令)に基づく強制執行を可能とする等、執行保全の局面での重要な改正が行われている。[↩]
- なお、本文Ⅱ1(2)で述べた控訴審判決(東京高裁平成23年6月22日判決(判時2116号64頁))を踏まえると、調停を組み込んだTDR条項の内容や具体的事案の内容次第ではあるものの、少なくとも我が国では、このようなリスクが顕在化する可能性は必ずしも高いとは限らないように思われる。[↩]
- 本文Ⅲ3(3)で述べるとおり、仲裁における手続は、仲裁廷に広い裁量が与えられており、実際の進行は事案によってさまざまであることに留意されたい。[↩]

寺井 昭仁
弁護士法人御堂筋法律事務所 パートナー弁護士
01年慶應義塾大学法学部卒業。03年弁護士登録。10年米国ミシガン大学ロースクール卒業(LL.M.)。11年米国ニューヨーク州弁護士登録。16年弁護士法人御堂筋法律事務所パートナー。争訟・紛争解決、国際取引、独占禁止法・競争法、コンプライアンス・企業不祥事の各分野を中心に、企業法務全般を取り扱う。コーポレート分野では、ビジネスと人権への対応に関する相談を始め、海外子会社を含むグループコンプライアンス全般に関する相談等を受けるなどしている。
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山﨑 陽平
弁護士法人御堂筋法律事務所 パートナー弁護士
08年同志社大学法学部卒業、10年同志社大学法科大学院修了。11年弁護士登録、12年弁護士法人御堂筋法律事務所入所。17年カリフォルニア大学ロサンゼルス校卒業、DORDA法律事務所(オーストリア・ウィーン)勤務。19年ニューヨーク州弁護士登録。国際取引、M&A/コーポレート、競争法を主な取扱い分野とし、ビジネスと人権に関する企業の体制整備の支援や講演等を行っている。
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松田 祐人
弁護士法人御堂筋法律事務所 パートナー弁護士
10年大阪大学法学部卒業。12年京都大学法科大学院修了。13年弁護士登録。18年Northwestern University School of Law 卒業(LL.M.)、Baker & Hostetler LLP(米国ワシントンDC)勤務。19年ニューヨーク州弁護士登録。主な取扱分野はM&A/企業再編、コーポレート、国際取引、国際紛争、GDPR等の個人情報保護法制・競争法を含む外国法コンプライアンス、海外進出支援など。
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久保 宏貴
弁護士法人御堂筋法律事務所 弁護士
11年京都大学法学部卒業。13年中央大学法科大学院修了。14年弁護士登録。15年弁護士法人御堂筋法律事務所入所。20年から22年まで大阪国税局調査第一部調査審理課勤務(国際調査審理官)。23年University of Virginia School of Law卒業(LL.M.)、Jenner & Block LLP(米国ロサンゼルス市)勤務。同年弁護士法人御堂筋法律事務所復帰。24年ニューヨーク州弁護士登録。主な取扱分野は、コーポレート/M&A、国際取引、税法関連法務、国内外の紛争解決。
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寺田 明弘
弁護士法人御堂筋法律事務所 弁護士
13年京都大学法学部卒業。15年京都大学法科大学院修了。16年弁護士登録。17年弁護士法人御堂筋法律事務所入所。20年から22年まで事業会社法務部にて勤務(出向)。23年カリフォルニア大学バークレー校卒業(LL.M.)、23年から24年までRajah & Tann Singapore LLP勤務。24年ニューヨーク州弁護士登録。主な取扱分野は、M&A/企業再編、企業紛争解決、国際取引/海外進出支援、危機管理/不祥事対応等。シンガポールにて複数の国際仲裁・調停事案を担当。
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