方向性が異なる世界のAI規制 米英は人権保護から安全保障重視へ転換
企業のAI活用が急速に進む中、各国や地域でAI規制法の整備が本格化している。しかし、その方向性は国や地域ごとに大きく異なり、企業にとって複雑な対応が求められる状況となっている。2025年にパリで開催された“AIアクションサミット”では、日本、EU、中国を含む60を超える国と地域が共同声明に署名し、安全で信頼でき、透明性のあるAIの確保を国際的に進めていく方向性で合意した。しかし、米国と英国の2か国は署名を見送っている。この背景について、EY弁護士法人の小木惇弁護士は次のように説明する。
「米国では2025年1月に第二次トランプ政権が発足し、前政権の公平性重視政策が転換されました。差別解消や人権保護に配慮したバイデン政権下での2023年10月のAIの安全性に関する大統領令(The Executive Order on the Safe, Secure, and Trustworthy Development and Use of Artificial Intelligence)は、トランプ大統領の就任直後に撤回され、連邦政府としては全体的に規制緩和に向かっています。ただし、2025年5月19日にはTAKE IT DOWN Act(リベンジポルノ規制)が成立する等、特定分野の規制は行われていることに注意が必要です。英国も2024年7月の政権交代に伴い、それまで保守党政権で検討されていたAI法案が廃案となりました。労働党新政権は国産AIの強化と安全保障を重視する方針に転換すべく、2025年1月には「AI機会行動計画(AI Opportunities Action Plan)」を発表しました。同年2月にAI Safety InstituteがAI Security Instituteに名称変更されたのも、バイアス等の広範なAIリスクよりも、兵器開発やサイバー攻撃等安全保障に重点を移すという象徴的な変更といえます」(小木弁護士)。
ただし、連邦レベルで規制緩和の方向にある米国でも、州レベルでは規制が進んでいるという。「EUほど厳しくありませんが、2024年5月のコロラド州のAI規制法(Colorado Senate Bill 24-205)の成立をはじめ、カリフォルニア州、ユタ州等で生成AI関連の規制法が施行されています。選挙関連のディープフェイク規制なども、各州が個別に対応しています」(小木弁護士)。
EU AI法対応はまず自社適用の有無の確認を
多くの企業が注視するのが、世界で最も厳格とされるEU AI法(Artificial Intelligence Act)の動向だが、伊藤多嘉彦弁護士は「日本企業がEUでAIサービスを提供しない場合やAI製品をEUに提供しない場合、そしてAIを用いた成果物をEU市場で使用することを想定しない場合には、基本的に同法の適用対象とはなりません。単純にEUのAI事業者のサービスを使用するだけでは適用対象外です」と説明する。
同法はリスクに応じた規制体系を採用しており、“禁止”“高リスク”“限定的”“最小限”の4段階のリスクレベルに分類し、該当するAIシステムに規制や義務を課している。「アルゴリズムなどAIモデル自体の開発者を除けば、主に問題となるのは“禁止されたAI”と“高リスクAI”です。禁止されたAIシステムは事業に用いるにはリスクが高く、高リスクAIシステムには文書化やリスク管理システム構築等の重い義務が課されます」(伊藤弁護士)。
高リスクAIは自動車の安全部品に使用されるAI、雇用・労働管理で使用されるAI等が対象だ。「日本で時々見かける在宅勤務のモニタリングシステムは、“監視”として高リスクに分類される可能性があります。一方で、職場や教育機関で感情推測(感情認識)を行うAIシステムは“禁止”に該当します」(伊藤弁護士)。
現在、企業の対応は多くが手探りの状況で、専門家の意見を求めるケースが少なくないという。「EU AI法に基づく規制内容はすべてが確定しておらず、欧州委員会の方針も揺らぎが見える状況で、2025年5月2日までに公表が予定されていた生成AIモデルに関する実践規範の公表も遅れています。一方、グローバルでAIを活用しており、コンプライアンス意識の高い企業では、全面施行後の対応では間に合わない可能性があるため、これまでの議論をもとに対応を検討しているという状況です」(伊藤弁護士)。
規制対応はユースケースの洗い出しから グローバル企業は中国の規制にも注目
グローバルに事業を展開する企業は、EU AI法のほかに、中国の規制にも注目していると増田好剛弁護士は語る。
「中国の生成AI関連法に関しては、既に法令違反での裁判例や事業者逮捕事例が存在します。中国には情報統制を目的とした特殊な要件等があるため、グローバル企業はEU AI法のみに対応しておけば足りるというわけではありません。このため、この2国に焦点を合わせて対応策を検討する企業も増えるのではないでしょうか。なお、AIを活用する予定の国・地域によって規制の内容が大きく異なる場合は、対応コストや事業における重要性を考慮して対応方針を分けることも考えられます」(増田弁護士)。
具体的な規制対応について、増田弁護士は「どの国でどのようにAIを使用するかのユースケースの洗い出しが必要」と指摘。特にEUでAIを活用したビジネスを行う場合にはシステム変更が必要となるリスクがあるため、早期のアセスメントが必要だという。「アセスメントではユースケースを洗い出し、適用される義務を確認します。法的な観点からの分析に加え、技術的な観点からの分析が求められる可能性があります」(増田弁護士)。
日本はソフトローアプローチを継続
2025年5月、日本においてもAI法(人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律)が成立したが、同法の性質は政府の方針を定める基本法であり、罰則の定めもない。このため、従前のソフトローアプローチに大きな変更はないという。
「政府施策に対する事業者の協力義務(同法7条)が定められましたので、抽象的ではありますが、政府の今後の方針によっては対応が必要となるかもしれません。たとえば、一定の情報提供やラベリングが求められる可能性もあります」(小木弁護士)。
「一部の日本企業は既にAI事業者ガイドラインに基づいたガバナンスシステムを導入していますが、現状ではそのようなガバナンスシステムの抜本的な変更は必要ないものと思われます」(増田弁護士)。
読者からの質問(EU域内の子会社におけるAI利用への対応)

伊藤 多嘉彦
弁護士
Takahiko Itoh
97年東京大学法学部卒業。裁判官を経て03年弁護士登録(第二東京弁護士会)。07年スタンフォード大学ロースクール(LL.M.)修了。08年ニューヨーク州弁護士登録。英米の外資系法律事務所および日本の大手法律事務所を経て、17年~EY弁護士法人。19年同事務所パートナー就任。

増田 好剛
弁護士
Yoshitake Masuda
94年早稲田大学法学部卒業。96年弁護士登録(東京弁護士会)。03年ミシガン大学(LL.M.)修了。05年ルーヴェン・カトリック大学(LL.M.)修了。05年ニューヨーク州弁護士登録。21年~EY弁護士法人。

小木 惇
弁護士
Jun Ogi
10年東京大学法学部卒業。12年東京大学法科大学院修了。13年弁護士登録(東京弁護士会)。都内法律事務所を経て18年~EY弁護士法人。22年カリフォルニア大学ロサンゼルス校修了(LL.M.)。23年EYロンドンオフィスに出向、欧州のデジタル法務チームのコーポレート法務チームと協業。