人権・環境分野の法制化にはスマートミックスでの対応が有効
北村弁護士 EUをはじめとして、人権および環境に関するデューデリジェンス(以下「DD」)を義務づける法制化が国際的に進んでいます。2011年に国連において「ビジネスと人権に関する指導原則」が策定・合意されたことにより、国際的なコンセンサスができました。これは法的拘束力のないソフトローでしたが、その後、英国、フランス、オーストラリア、ドイツなどでハードローとしての法制化が進んでいます。そして、2024年7月25日には、EUの「コーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令(Corporate Sustainability Due Diligence Directive)」(以下「CSDDD」)が発効しました。また、日本においても2022年に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が政府から発出され、今後の法制化の要否に関する議論も行われています。今後、グローバルで活動する企業は、こうした人権および環境に関するDDへの対応が強く求められることになります。
小松弁護士 この分野には、ソフトローとハードローを組み合わせて賢く対応していく“スマートミックス”という考え方があります。法制化への強い流れはありますが、企業にとっては、リスクベースでの対応など、法律では書ききれない部分についてはガイドラインなどのソフトローを参照しながら対応していくことが重要です。
適用対象外企業における対応は
津久井氏 CSDDDの発効を受けて、クリタグループとしてどのように対応していくか、困惑したことが二つあります。一つはドイツの「サプライチェーン・DD法(Lieferkettensorgfaltspflichtengesetz)」との関係で、もう一つは適用対象外の企業においてどのような対応が必要になるか、ということでした。
北村弁護士 先行するドイツのサプライチェーン・DD法への準備を進めていたところに、DDの範囲がより広いCSDDDが発効されたので、企業の皆さんが困惑されるのはもっともだと思います。しかしながら、“リスクベースアプローチでのDD”という点で両者は共通しており、既にドイツのサプライチェーン・DD法に対応している企業はそのノウハウをアセットとして応用することが可能となります。CSDDD対応についてはより広くグローバルベースとなるため、日本のグローバル企業としては、日本主導で対応を推進するのか、EU拠点の主導とするのか、各社検討中というところでしょうか。一方、適用対象外企業においても、適用対象企業のバリューチェーンに含まれる場合には、人権および環境に関するDDの実施が求められる可能性がありますので、日本企業としても着実にリスクベースアプローチに基づく人権・環境DDを遂行していく必要があります。

北村 導人 弁護士
津久井氏 クリタグループでは、リスクベースアプローチに基づいて人権リスクを考え、日本をはじめとするアジアを重視した施策をとってきましたが、EUにある適用対象外の子会社が適用対象企業のサプライヤーとなる場合、その子会社単独では何も対応していないように見られる可能性があるのではないかと心配しています。
小松弁護士 リスク評価自体は、グループ全体で実施することが基本なので、“アジアを重視する”ということにも根拠があるように思います。他方でEU子会社は単体として人権に関する取り組みを進める必要があり、関連する施策の説明ができるように施策を積み上げていくことが肝要です。
“コンプライアンス”から“インテグリティ”へ
小松弁護士 さまざまな企業の方々とお話すると、この分野で皆さんが心配しているのは、法制化されることによって、いわゆる“オーバーコンプライアンス”となり、コストが増大してしまう可能性です。この点、津久井さんはいかがお考えですか。
津久井氏 “オーバーコンプライアンス”という言葉は実にしっくりきますね。法制化されることによって適正に対応しなければならなくなるのですが、どこまでやればよいのかはソフトローに戻って紐解いていかなければなりません。しかし、そこでもわからない点は出てきます。つまり、“どこまでやれば安心なのか”が明確ではないので、社内コンセンサスに苦慮することが予想されます。
北村弁護士 確かに、経営陣から見れば、“法令”である以上、“法令順守のための対応をせよ”という意識が先行する傾向にあります。しかし、経営陣の方々には、企業の事業活動の内容などによってリスクや対応策が異なり、かつ継続的な取り組みが必要となる“人権”という分野の特徴や、先程の“スマートミックス”という考え方を丁寧に説明して理解していただくことが重要だと思います。
津久井氏 “コンプライアンス”と言うと、他律的に“〇か×か”を判断してもらうという考えになってしまいがちだと思います。私の所属部署では、2023年度より、組織名に“コンプライアンス”ではなく“インテグリティ”を掲げています。その思いとしては、原理原則を理解したうえで自律的に考え、正しいと思う方向に進んでいくことを目指しています。人権の分野においてはこうした考え方が必要だと改めて認識しました。
オムニバス法案の動向は注視が必要
北村弁護士 2025年2月26日、欧州委員会はサステナビリティ関連規制の簡素化を目的とした、いわゆる“オムニバス法案”を公表しました。オムニバス法案におけるCSDDDに関する主なポイントは、①第一段階の適用企業の適用開始時期や国内法移行期限の1年間延期、②リスク評価対象範囲の縮小、③統一的な民事責任や制裁金の上限に関する規定は国内法に委ねる、の3点となります。この背景には、さまざまな法規制が乱立することによる企業負担の軽減と、準備期間を長くすることにより欧州企業の競争力を高める意図があります。
津久井氏 オムニバス法案については、欧州の子会社では「企業サステナビリティ報告指令(Corporate Sustainability Reporting Directive)」(CSRD)対応の一環としてDD要請への対応も検討していたところでしたので、ありがたい一方、肩透かしを食らった感じもありました。
小松弁護士 多くの企業は津久井さんと同じ印象を持たれたのではないでしょうか。しかし、適用時期の延期を認める法案については欧州理事会等での承認が得られたため間もなく発効予定ですが、内容について実質的な修正を加える提案についてはこれから議論がなされる予定で、2025年中に採択されるかどうかは不透明な状況です。提案自体に対する修正もあり、この審議状況が国内法の整備やガイドラインの発行に影響を与えることも考えられますので、定期的に確認しておく必要があります。
北村弁護士 日本企業としては、オムニバス法案の審議内容や成立時期などを注視する必要がありますが、PwCでは、各国の弁護士のみならず多様なプロフェッショナルが、欧州をはじめ世界各国の拠点を横串でつなぐコミッティを組織してCSDDDなどに関する情報をタイムリーに収集し、それに基づく支援を企業の皆様に提供しています。コミッティでの成果は日本からもアクセスできますので、私たちもそれを活用して日本企業への適時適切な支援を行っています。
津久井氏 オムニバス法案ではDDの実施頻度が1年から5年に変更されましたが、この“DDの頻度”とは何を意味するのでしょうか。5年ごとに潜在的人権リスクの洗い直しをして回していくという理解で問題ないでしょうか。
小松弁護士 このDDの実施頻度が記載されているのがモニタリングに関する条項のため理解が難しいのですが、おっしゃるとおり、5年は、潜在的人権リスクの洗い直しと理解し、継続的に実施すべきモニタリングとは分けて考えるのが国連の指導原則とも整合的だと思います。
北村弁護士 そうですね。“全社的なリスクや取り組みの総見直しは5年に1回でよい”と言っているに過ぎず、リスクアセスメントで優先度が高いと評価されたリスク領域に関するDD(モニタリングを含む)は、継続的に遂行していく必要があると考えています。
ステークホルダーとのエンゲージメントの困難性
北村弁護士 CSDDDにおける適用対象企業の義務は、基本的に国連の指導原則などの国際規範で求められる取り組み内容と整合しています。すなわち、①方針の策定、②リスクの特定・評価、リスクの防止・軽減・是正、モニタリング、説明・情報開示のプロセスを経るDDの実施、③DDではカバーされない領域を含めて広く苦情の申立てを受け付け、その対応を行う苦情処理メカニズム(グリーバンス・メカニズム)の構築・運用、④取り組み全体を通じて求められるステークホルダーとの効果的かつ透明性のあるエンゲージメント、といった取り組みが求められています。これらのうち、④ステークホルダーとのエンゲージメントはどのように対応される予定でしょうか。
津久井氏 ステークホルダーとのエンゲージメントの部分はかなりハードルが高いと感じています。ステークホルダーの選定、選定後のコンタクトなど、どこまでやれば“エンゲージメントをした”と言えるのか、イメージがうまくつかめません。

津久井 邦晃 氏
北村弁護士 確かにCSDDDでは、DDの各段階(負の影響の特定・評価・優先順位づけのための負の影響に関する必要な情報収集、予防措置計画や是正措置計画の策定、取引関係の一時停止等、苦情処理メカニズム、モニタリングなど)におけるエンゲージメントが必要とされています(オムニバス法案では一部範囲が縮小)が、企業としては、エンゲージメントの対象と内容に関して優先順位をつけて対応することになると考えています。
小松弁護士 ステークホルダーとしては、まずは、事業の影響を受けている労働者、労働組合が中心になります。特になかなか声を上げにくい脆弱な立場にある方々のことを考えることは重要です。とはいえ、一気には難しいので、少しずつ意見交換の対象を広げたり、深めたりしていくしかないと考えています。
方針の体系化と“契約上の義務”の範囲
津久井氏 CSDDDでは、“DD方針の策定”も求められていますが、企業の立場から言うと、ほかにもさまざまな方針があるので、これらを束ねていくべきか否かなども検討が必要と考えます。
北村弁護士 その点は他の日本企業も同様の問題を抱えています。複数の方針同士の関係性を明確化し、整合性をとる必要があるため、私たちがそうした対応のサポートを行うこともあります。
小松弁護士 体系の位置づけと関連性を整理するのは大変ですね。たとえば、“紛争鉱物に関する方針”は人権方針なのか、調達方針なのか、独立とすべきか―についても、選択肢は複数あります。現実的には方針を所有する部署・役員も異なるので、そこでの調整も必要になります。最初に大きな枠組みを描いておければよいのですが。
津久井氏 一方、DD方針に含まれている“行動規範を遵守する義務”など、適用対象となる欧州企業からサプライヤーとしての対応を求められる契約上の義務として、ほかにどのようなものが求められると考えられますか。
北村弁護士 最近、人権尊重の取り組みに関する契約上の義務の見直しについて検討することも増えています。具体的には、相手方企業の規模やリソースなどにも配慮しながら、①人権・環境DDを実施し、リスクの軽減に努める義務、②DD結果報告などの情報を提供する義務、③自己のサプライヤーに対して行動規範と同等の義務を課す義務のほか、行動規範違反の場合の取引停止に関する規定などを検討することがあります。
CSDDD対応に苦慮する企業へ高度なソリューションを提供
北村弁護士 これまで見てきたように、CSDDDで求められる企業の対応すべきポイントは多岐にわたりますが、クリタグループでは、これまでどのような人権尊重の取り組みをされてきたのでしょうか。
津久井氏 クリタグループは企業理念に「“水”を究め、自然と人間が調和した豊かな環境を創造する」を掲げて事業活動を行っており、人権に関する取り組みは、この“自然と人間が調和した豊かな環境”における“人間”への取り組みとして推進しています。具体的な取り組みとしては、2022年度からサプライチェーン全体で人権リスクを把握し対応するため、紛争鉱物の懸念の有無について電子部材の調達額の多い調達先の原材料の履歴を調査するとともに、外国人技能実習生を受け入れているサプライヤーに対し、外部専門家とともに訪問監査を実施しています。
また、2023年度には外国人労働者受入れの際に遵守すべき事項をまとめた「外国人労働者受け入れに関する指針」を策定し、サプライヤーに対しクリタグループの人権に関する取り組みを紹介するとともに、同指針の遵守を要請しています。社内では、当社および国内グループ会社の従業員向けに人権をテーマとした教育研修を毎年実施し、対象者の受講率100%の目標を達成しています。今後もクリタグループの企業姿勢を継続的に示し、取り組みを推進していきます。
小松弁護士 さまざまな企業のお話を聞くと、“グリーバンス・メカニズム(苦情処理メカニズム。人権侵害に関する救済制度)”について苦労されているようですが、クリタグループではどのように取り組まれていらっしゃいますか。

小松 健太 弁護士
津久井氏 2027年度までに人権侵害に関するグリーバンス・メカニズムの設置完了を目指しています。2024年度はグリーバンス・メカニズムに関して国連指導原則で提示された要件を踏まえた体制・運用方法の検討や、他社事例等についての調査を行いました。幅広いステークホルダーを救済できるよう、現在、設置に向けた準備を進めています。
北村弁護士 クリタグループとしては、国連指導原則やOECDのガイダンスなどをベースに着実に人権尊重の取り組みの整備・高度化を図っているということですね。今回、津久井さんにお話しいただいたように、CSDDD対応に苦慮する日本企業も多いと思います。PwC Japanグループでは、弁護士を含む人権・環境に係る多様なプロフェッショナルが横断的なチームを組成し、それぞれの専門分野の知見を活かして、CSDDDで求められる取り組みの継続的な調査・対応の改善と高度化を包括的にサポートしています。PwCのグローバルネットワークとも緊密に連携し、今後も日本企業の課題解決支援に尽力していきたいと考えています。
小松弁護士 私たちが企業の買収や売却、企業の統合、企業再生などで得たビジネスサイドの知見は、調達・人事・コンプライアンスなど複数の部門でのコンセンサスが必要となるCSDDD対応に活かすことができます。最近では、ESG観点でのサステナビリティ・トランスフォーメーションやステークホルダーとのコミュニケーションなど、クライアントを取り巻く複雑な経営課題の解決に向けた包括的なアドバイスを提供しています。
津久井氏 それはこれから対応を迫られる企業にとって心強いですね。本日は貴重なお話をいただきありがとうございました。

北村 導人
PwC弁護士法人 弁護士/公認会計士
Michito Kitamura
96年公認会計士登録。00年弁護士登録(第一東京弁護士会)。20年~PwC弁護士法人パートナー代表。ESG/サステナビリティ関連法務、税法・会計が交錯する企業法務、税務、ウェルスマネジメントを中心に、幅広い法分野を取り扱う。近時は、ESG/サステナビリティに関連する経営アジェンダやトランザクションに係るコンサルティング(ビジネスと人権関連サービスを含む)に注力。

小松 健太
PwCアドバイザリー合同会社 弁護士
Kenta Komatsu
事業会社にて知的財産に関する制度、規格の策定に関する業務に従事し、06年弁護士登録(第二東京弁護士会)。22年~PwCアドバイザリー合同会社シニアマネージャー。現在はESGやサステナビリティに関連する分野、サプライチェーンにおけるデューデリジェンスを中心とするビジネスと人権に関する案件、グループガバナンスなどコーポレートガバナンス案件、M&AにおけるESGデューデリジェンスの展開などに従事。

津久井 邦晃
栗田工業株式会社 サステナビリティ経営戦略室インテグリティマネジメント部 専門部長
Kuniaki Tsukui
99年栗田工業株式会社入社。営業・広報を経て、09年~法務・コンプライアンス業務に従事。加えて20年~「ビジネスと人権」に関わる業務にも従事。