大企業が“事業譲渡”を選択すべき場面は
山田氏 ダイセルは総合化学メーカーとして製品の製造・販売等の事業を展開しており、グループ企業も国内外に数多く存在します。そのうちの特定の事業を切り出そうとした場合、法務は現場から「これは事業譲渡ではないのか。その手続にはどのようなものがあるのか」と質問を受けることがあります。多様な事業を行っている上場企業の場合、総資産額の20%の規模に該当する事業の切り出しはまずないように思われます。この場合、会社法を意識する必要のある“事業譲渡”となることはありますか。
孝岡弁護士 その点から言うと、規模の大きな企業の場合は“事業譲渡”となることは基本的にありません。
浅沼弁護士 会社法467条以下の規制の対象となる“事業譲渡”で実務上の問題となるのは、「重要な一部の譲渡」または「子会社の株式……の全部又は一部の譲渡」にあたるか否かです。承継資産や承継する株式の帳簿価額が総資産額の20%前後で“重要”と言えるかが争点となる場合に、株主総会を開く必要があるかが検討の俎上に挙がります。上場企業の場合、株主総会の開催は非常に労力がかかるので「避けられるのであれば避けたい」というニーズがあります。他方で、非公開会社や中小企業の場合は、株主総会の開催にそこまで労力がかからないので、念のため開催して決議しておくことが多いと思います。
山田氏 ある程度の規模の事業の承継の場合は、取引先も多いため、吸収分割や子会社を設立し事業をカーブアウトして株式譲渡を行うという対応になることの方が多いのでしょうか。また、会社法上の事業譲渡には該当しなくとも、競業避止義務などを取り決めたい場合には、事業譲渡契約書を結んで取り決めればよいのでしょうか。
孝岡弁護士 ご指摘のとおりです。ただ、契約書のタイトルを「事業譲渡契約書」とする必要はありません。小規模クライアントの事例ですが、「資産等譲渡契約書」としたケースもあります。また、“事業譲渡”の場合は、会社法上、契約書に明記されていなくても競業避止義務を20年負担する旨が定められていますが、“事業譲渡”に該当するか否かにかかわらず、事業を切り出す場合には契約書内で別途その期間を規定し直すことが一般的です。多くの場合は2~3年で、長くても5年というところでしょう。
のれん代は事業譲渡契約でどのように表記する?
山田氏 事業譲渡の場合は事業自体の価値を時価評価して譲渡することになり、個別の資産等譲渡契約の場合よりも譲渡代金がプラスになることもあると思います。それを契約書に表すとすれば“のれん代”となると思いますが、どう書けばよいのでしょうか。
浅沼弁護士 事業譲渡契約書には譲渡価額のいわば“総額”しか規定せず、個別の資産等の金額やのれん代を個別に書くことはありません。別紙で譲渡対象資産、譲渡対象負債、譲渡対象契約、譲渡対象従業員、譲渡対象ライセンス等は記載しますが、のれんはあくまで「事業価値をどう評価したか」の計上や税務上の概念ですので、契約書上に規定することはありません。のれんの決め方については、両者の交渉の結果定められた金額、つまり時価を基準に、その金額を各資産等に割り振って余った金額がのれんと考えられます。グループ内再編の場合は寄付金課税や受贈益課税の問題で「その金額が本当に時価といえるのか」が問題になりますが、第三者に対する事業譲渡であればしっかりと交渉することが前提であるため、あまり気にすることはないでしょう。
撤退対象事業や赤字部門の承継は“事業譲渡”にあたるのか
山田氏 仮にグループ内で赤字が常態化し、EBITDAがマイナスの事業を切り出して他の企業に譲渡する場合、時価はマイナスとも言えるので、逆に譲渡側が対価として金銭を渡すことになるのでしょうか。従業員の雇用継続や取引先へのケアをしてほしいケースなど、こちらが対価を支払ってでも譲渡したい場合はあると思います。
浅沼弁護士 譲渡側が金銭を渡すことはなく、赤字事業の場合でも0円が下限となるのが一般的です。そのため、たとえば資産と契約のみを譲渡対象とし、負債である買掛金や未払金を譲渡側に残すことで実質的にマイナスとする手法は考えられますね。
山田氏 清算価値の方が高く、理屈上は倒産させた方がよいような場合はどうなることが多いですか。
孝岡弁護士 清算価値の方が高いとなると、一般的には買手はなかなか現れないでしょうし、買手側役員の善管注意義務も問われ得ます。
浅沼弁護士 私は再生案件の経験が多くありますが、小売業を再生に伴い事業譲渡する際に、数十店舗のうち赤字店舗を除く黒字店舗のみに対象を絞ってファンドや地場企業に譲渡をした事例がありました。従業員の雇用をできる限り継続し、事業を再生させるための措置で、全店舗では清算価値の方が高くなってしまいますが、黒字店舗のみを事業譲渡の対象とすることで事業価値を見出してもらい、全体としては清算価値を上回るように検討した結果です。
山田氏 事業から撤退する際に取引先から撤退後も製品を供給するよう求められた場合、ノウハウ等を承継先の他社に渡して製造を続けてもらう方法をとると“事業譲渡”にあたるのでしょうか。
孝岡弁護士 承継する内容や規模によっては“事業譲渡”に該当しうるのですが、実務上は契約の付け替えやノウハウの承継に関する手続のみで対応している例も多いと思います。つまり、取引先の同意のもと、元々の契約上の地位を承継先に移転するといった手続はせず、元々の契約関係は解消した上で、承継先との間で新たな取引契約の締結を促すというものです。
山田氏 諸々のことを考えれば、事業譲渡よりも会社分割の方が楽な場合もありそうでしょうか。
孝岡弁護士 企業の担当者の手間から考えると、会社分割には、法定の債権者保護手続の実施が求められるというコストはありますが、総合的に見れば“事業の切り出し”に最も適した手続である場合も多いかと思います。とはいえ、実務上は、事業譲渡でも会社分割でも、それぞれの効力に疑義が生じないよう、保守的に、必要となりうる手続は(実際には不要と評価されうる場合であっても)念のため実施しておくことが一般的です。また、どちらを選んだとしても、取引先や従業員への配慮等、企業側の実務としてはあまり変わらないともいえます。ビジネス、会計・税務等の観点も含めた総合的な判断が求められますね。
浅沼 大貴
弁護士
Daiki Asanuma
10年法政大学法学部卒業。13年明治大学法科大学院修了。14年弁護士登録(第一東京弁護士会)。15年北浜法律事務所入所。19~21年フロンティア・マネジメント株式会社出向。23年パートナー就任。
孝岡 裕介
弁護士
Yusuke Takaoka
11年京都大学法学部卒業。13年同大学法科大学院修了。14年弁護士登録(大阪弁護士会)、北浜法律事務所入所。20~23年みずほ証券株式会社へ出向。24年パートナー就任。
山田 諭敬
株式会社ダイセル 法務グループ
Yutaka Yamada
11年京都大学法学部卒業。13年同大学法科大学院修了。14年弁護士登録。大阪の法律事務所での執務経験を経て、18年より現職。国内外のM&A・組織再編、個人情報保護法対応、輸出管理その他さまざまな案件に関与。