経済安全保障への感度の高い企業は既に動き出している
近年、地政学的な緊張の高まりや新型コロナウイルス感染症の拡大などにより、世界情勢の不確実性がますます増大している。こうした中、世界各国の政府は経済安全保障政策の強化を打ち出しており、これは日本も例外ではない。2022年5月に成立したいわゆる“経済安全保障推進法”は、その象徴ともいえる。
グローバル企業においては、米中摩擦やロシアによるウクライナ侵攻等により、経済安全保障に関連するリスクは既に顕在化しており、事業の継続や将来の成長にかかわる重要なものとなっている。日本有数の法律事務所である西村あさひ法律事務所で経済安全保障に関わる案件に数多く対応しており、財務省で法令・政策立案にも関与してきた桜田雄紀弁護士は、「感度の高い大企業を中心に、経済安全保障に関する専門部署を立ち上げるなどの体制を強化する動きが見られ、こうした動きは今後中小企業も含めて波及していくと予想しています。その一方で、“具体的に何が問題なのか”“どこから手をつければいいのか”と戸惑う企業も多く見受けられます」と現状を分析し、経験豊富な専門家による多面的なサポートの必要性を説く。
米中の輸出・再輸出規制の板挟みになるリスクがある
一口に“経済安全保障”と言っても、その内容は広範多岐にわたるが、「特に米中対立を受けて強化される規制と産業政策の間で、日本が米国と中国の“板挟み”になるケースが少なくありません」と語るのは、経済制裁などに関する案件を多く手がける中島和穂弁護士だ。
2017年のトランプ政権発足後に始まった米中対立は、貿易、投資、技術、環境、人権と競争領域を拡大し、バイデン政権になってからも収束の兆しを見せていない。米国の法律には、国境を越えて米国外で効力を発揮する域外適用の規定を持つものがあり、貿易や投資の関連法規はその代表例といえる。一方の中国もさまざまな対抗策を講じており、特に2021年に公布・施行した反外国制裁法によって、広く外国への対抗措置を可能とする法整備を行った。米中双方との関係が深い日本は、“米国と中国のどちらを優先させるか”という難しいリスク判断を迫られることとなる。
輸出規制や国際通商などの案件に取り組んできた淀川詔子弁護士は、「最近は、大企業のみならずスタートアップを含む中小企業においても輸出管理体制を整備・強化しようという機運が高まっていると感じます。米国による輸出規制の拡大の動きを受け、“米国の輸出・再輸出規制を守りつつ中国の対抗立法に備えるためにはどうしたらよいか”など、より踏み込んだ内容の相談が増えてきていることから、我々としても、“両国での取引を継続させつついかにリスクを低減させるか”という戦略的なアドバイスを提供すべく知恵を絞っています」と話す。
経済活動が規制される領域が従来よりも拡大しつつある
もちろん、注視すべきは米中対立だけではない。近時はウクライナ侵攻を続けるロシアへの経済制裁が大きなトピックであり、日本も国際社会と足並みを揃えて、かつてないほどにロシアへの圧力を強めている。輸出入の禁止・制限や新規投資の禁止といった対ロシア経済制裁措置によって、民間企業はビジネスの軌道修正を余儀なくされる可能性がある。また、「金融機関は違反懸念のある外国送金取引等の未然防止体制を強化しており、そうした金融機関からの指摘を受けて、企業が問題点の洗い出しを迫られるケースも散見されます」という中島弁護士の言葉からも、クロスボーダービジネスに与える影響の大きさがうかがえる。
このように、終わりの見えない米中対立やロシアによるウクライナ侵攻などを背景として、各国の経済安全保障に関する政策が変動しており、「今後も規制が突然強化されたり、複雑化したりする可能性は高い」と中島弁護士は警鐘を鳴らす。
「従来は、大量破壊兵器・通常兵器の拡散防止やテロ抑止という限られた理由で経済活動が規制されてきましたが、昨今は、軍事と民事の境界があいまいになり、重要技術の優位性確保、重要インフラの確保、情報通信やサイバーセキュリティの確保、人権侵害というように、民間の経済活動に密接に関わる領域にまで規制が拡大しています。将来的に制裁の強化が見込まれる場合の個別の取引のリスクアセスメントや、実際に制裁法や輸出規制などの規制違反の疑いが生じる場合の当局対応、そのような規制違反を防ぐための法令遵守体制の整備は、今後ますます重要になるといえるでしょう」(中島弁護士)。
重要情報の流出を防ぐための規制強化が進んでいる
経済安全保障においては、先端的な技術開発や機微技術の流出防止もしばしば問題となる。我が国においては、日本国内における居住者から非居住者への特定技術の提供を国外への提供と同様に規制する“みなし輸出”の規制について、対象取引の範囲が明確化され、2022年5月から施行された。これは、居住者であっても、明らかに外国政府等や外国法人等から影響を受けていると認められる者に特定技術を提供する場合には、事前に経産省の許可を取らなければいけないという内容だ。「施行から間もないということもあり、経産省のガイドラインに載っていないような個別ケースにおける対応に苦慮する企業も多い」と淀川弁護士。みなし輸出規制は、優秀な技術者や研究者の確保や、外国人の受け入れ対応にも密接に関係するため、人事・労務戦略から見ても重要性は高い。
また、外為法の改正等を通じて、2020年には対内直接投資規制が強化された。この際、桜田弁護士は財務省で大臣官房企画官として勤務しており、外国投資家による上場企業の株式取得に係る事前届出の閾値を10%から1%に引き下げること、外国投資家が、自らの関係者を取締役や監査役として投資先企業に送りこむことについて議決権を行使すること、事前届出の対象業種を広げることなどを内容とする外為法改正の制度設計・立案を担当した。
「“対内直接投資規制”とは、重要な技術や重要インフラを有する企業に対する海外資本による買収や出資等を規律するルールです。近時の規制の強化を通じて、例えば、先端技術・機微技術を有する企業や重要なインフラ企業だけではなく、ソフトウェアやIT関連事業、レアアースなどの重要鉱物資源に関連する事業や、新型コロナウイルス感染症に関連する医療分野の事業を展開する企業にも規制の対象が広がりました」(桜田弁護士)。
厳格化する各国の外資規制は資金調達やM&Aにも影響を及ぼす
米国や中国、ヨーロッパなど諸外国においても、投資管理に関する制度が新設あるいは強化される潮流にある。「こうした各国の規制は、資金調達やM&Aにも少なからず影響します」と話すのは、M&Aやジョイントベンチャーなどの案件に数多く関わってきた神保寛子弁護士だ。
「クロスボーダーでの資金調達や投資を行う際には、各国での投資審査制度を踏まえた対応が求められます。審査にはある程度の時間がかかるため、それがスタートアップの資金調達の障害になってしまう例も散見されます。日本企業同士のM&Aであっても、グローバルに事業を展開している場合には、海外での届出が必要になることも考えられます。また、例えば、米国に大きなオペレーションを持つ日本のハイテク企業を中国企業が買収しようとする際には、先程話題に上った米中対立の問題が生じ得ます」と神保弁護士は話し、従来にも増して日本および海外の外資規制がM&A取引のプランニングや取引成立の可能性、スケジュールに与える影響が増大していることを指摘する。
なお、神保弁護士は、内閣府の対日直接投資推進会議のアドバイザーを務めており、経済安全保障の専門性を踏まえたアドバイスを企業に提供するとともに、企業が抱える悩みや要望を政府に伝える橋渡し的な取り組みにも力を入れていると話す。
サプライチェーンの強靱化に向けた法的ツール
2022年5月に成立した経済安全保障推進法では、重要物資のサプライチェーン強化についても強調されている。独禁法・競争法や国際通商法の知見を活かしつつ、広く通商に関する案件に携わる藤井康次郎弁護士は、「重要資源の安定的、効率的調達のためには、寡占・独占や取引条件の改善に向けて独禁法を戦略的に活用して対応していくことや、外国政府による天然資源の輸出制限に対しWTO協定を活用することが重要です。また、日本企業の海外権益の保護には諸外国との投資協定が活用できます。実際に、鉄鉱石やLNGの調達に関連して、日本の産業界と政府が連携して、日本の独禁法を使って問題の解決にあたりました。また、中国のレアアースの輸出制限についてはWTO協定に則り解決がなされました」と話す。
「また、経済安全保障推進法には、“外国の不公正な貿易によって自国の産業基盤が損害を受けるような場合には、日本政府が能動的にWTO協定に基づくアンチダンピング措置や補助金相殺関税措置などを活用する”との趣旨も入りました。これらの措置は、中小企業も含めて活用した実績があります」(藤井弁護士)。
リスク分析を早い段階で行い今後の規制強化に備えるべき
このように、経済安全保障に関して企業が直面しうる問題は、米中を含む関係国の政策・法規制、国際通商、競争法、投資スクリーニング、日本企業の外国投資保護、安全保障貿易管理、経済制裁、知的財産、サイバーセキュリティ等、多くの法分野や政策が複雑に絡み合う。こうした問題に対して有益なアドバイスを提供するためには、各法分野について豊富な知見・経験を有する弁護士が多数在籍し、また、政府機関への出向や海外法律事務所との人事交流等を積極的に行っている西村あさひ法律事務所の人材の厚みが、大きなアドバンテージになるのは間違いない。
「経済安全保障は、関係国の政策や国家間の連携による政策の見通し、地政学リスク・国際情勢の変動による法令変更の可能性に対する見立て、ルール化されていないソフトローへの対応や、一見すると安全保障の問題と分かりにくい問題への対処を含む、非常に複雑な課題です。これらの事項は、目まぐるしく状況が変わっていくことが予想され、だからこそ、情報収集とその正確性が極めて重要といえます。当事務所では、公開情報だけでなく、米中欧の拠点との意見交換や現地訪問、外国の専門家とのネットワーキングの構築を重視しています。また、従来の法律・コンプライアンスに関する情報にとらわれない、政治動向や通商政策も含めて幅広い情報収集にも努めており、そうした知見に基づく戦略的なアドバイスを提供していきます」(桜田弁護士)。
いずれの弁護士も、「事業規模の大小を問わず、幅広い企業が経済安全保障上のリスク分析を早い段階で行うべき」と強調し、同事務所としてもそれをしっかりとサポートしていきたいと力強く語る。
中島 和穂
弁護士・ニューヨーク州弁護士
Kazuho Nakajima
01年東京大学法学部卒業。02年弁護士登録。09年Columbia University School of Law卒業(LL.M.)。16~19年ドバイ駐在員事務所代表。専門領域は、M&A・コーポレート、経済制裁、経済安全保障ほか。第一東京弁護士会所属。
淀川 詔子
弁護士・ニューヨーク州弁護士
Noriko Yodogawa
02年東京大学法学部卒業。03年弁護士登録。10年New York University School of Law卒業(LL.M.)。07~09年外務省経済局経済連携課。専門領域は、輸出規制、国際通商、経済安全保障ほか。第一東京弁護士会所属。
藤井 康次郎
弁護士・ニューヨーク州弁護士
Kojiro Fujii
04年東京大学法学部卒業。05年弁護士登録。11年New York University School of Law卒業(LL.M.)。11~12年ワシントンDCの米国法律事務所に勤務。12~14年経済産業省通商機構部。専門領域は、国際通商・競争法、経済安全保障ほか。第一東京弁護士会所属。
神保 寛子
弁護士・ニューヨーク州弁護士
Hiroko Jimbo
00年東京大学法学部卒業。06年弁護士登録。12年Duke University School of Law卒業(LL.M.)。専門領域は、M&A・コーポレート、経済安全保障ほか。第一東京弁護士会所属。
桜田 雄紀
弁護士・ニューヨーク州弁護士
Yuki Sakurada
07年弁護士登録。15年~19年シンガポールオフィス勤務、19年~22年財務省大臣官房企画官(国際局調査課)。在任中、外国投資家による対日投資規制強化等を内容とする外為法改正を含む2度の外為法改正(19年、22年)、ロシア向け新規投資禁止などの経済安全保障関連施策に携わる。専門領域は、経済安全保障、投資規制ほか。第一東京弁護士会所属。
著 者:武井一浩・森田多恵子・安井桂大[責任編集]
出版社:商事法務
価 格:2,860円(税込)
著 者:太田洋、野村證券株式会社ライフプラン・サービス部[監修]、太田洋・有吉尚哉・鶴岡勇誠・野澤大和・増田貴都・田島史織[著]
出版社:商事法務
価 格:4,620円(税込)
著 者:柴原多・湯川雄介・根本剛史[著]
出版社:クロスメディア・パブリッシング
価 格:2,508円(税込)