はじめに
本連載は、リーガルテック導入やリーガルオペレーションの進化における課題について、法務部長(佐々木)と弁護士(久保さん)が、往復書簡の形式をとって意見交換します。連載第14回は私、佐々木毅尚が担当します。
問いかけへの検討
―企業のグローバル行動規範の整備
さて、前回の久保さんからの問いかけは以下のとおりでした。
- 企業のプリンシプル(その人の人生哲学や、企業の経営理念(Credo)、ポリシーといったものも含む概念)とも言うべき行動規範やポリシーは、平時には「無用の長物」と見られることもあるが、こういったプリンシプルが実際に役に立った事例はあるか
- 経営者が唱えるプリンシプルが現場に根付くためにはどのような点に留意すればよいか
これらの問いかけについて、私の考えをお話したいと思います。
経営理念と行動規範
企業は、創業者の熱い想いによって設立され、次世代に承継されていきます。その想いを具体的に表現したものの一つが定款に記載されている事業目的です。
事業目的には「企業としてどのような事業に取り組んでいくか」が表明されており、定款の必要的記載事項であるため、会社設立の際に必ず定める必要があります。また、株主総会決議が必要であるため、簡単に変更することはできません。
スタートアップ投資では、投資家は、創業者の事業計画と人柄を評価しつ、定款に記載された事業目的が世間のニーズとマッチするかどうかを判断し、出資者として会社事業に参加するかどうかを判断することになります。
ただし、残念なことに、いくら創業者が熱い想いを持ち、人柄や事業計画が優れていたとしても、それらが一緒に事業活動を行う仲間に伝わらないと事業は発展しません。また、事業を発展させるためには、事業目的や事業計画を達成するために統一な行動が求められます。したがって、その行動の在り方を表現した経営理念と、この理念を体現するための行動様様式である行動規範が必要で、これらは後の世代に引き継がれなければなりません。
特に行動規範には歴代経営者の熱い想いが込められており、これから事業を継続的に発展させることを目的とした、事業参加者が正しく行動していくための規範であるといえます。
行動規範のありかた
企業の行動規範にはさまざまなスタイルがあり、長文で書かれているもの、一文で書かれているもの、箇条書きで書かれているもの(多くの企業はこのスタイルを採用しています)等があります。行動規範で有名なものは、ジョンソン・エンド・ジョンソン社の「我が信条(Our Credo)」で、会社としての考え方が簡潔にまとめられています。
行動規範の制定で悩ましいのは、「どこまで具体的な行動を記載するか」という問題です。漠然とした内容の行動規範は理解が難しく、人によって解釈が異なってしまうリスクがあり、逆に、あまりに詳細な内容の行動規範は、社員の自主性を阻害するおそれがあります。「いかにバランスのとれた記載内容とするか」が課題となっており、会社としての考え方を簡潔かつ正確に、誰にも理解できる言葉として伝えることが重要です。
また、「時間軸」という問題もあります。社会は、時代の変化によって人の価値観が大きく変わってしまうため、行動規範も不変なものではなく、時代の変化によって変化させていく必要があります。実際のところ、ジョンソン・エンド・ジョンソン社では、定期的に行動規範についてディスカッションを行い、内容を見直しているようです(2019年版はこちら)。
行動規範のグローバル化
国によって文化や習慣が異なり、宗教によって価値観が異なります。したがって、グローバル企業の行動規範は、このような「多様性」を反映させる必要があります。
ただし、グループとして統一的な行動が求められる企業が、複数の行動規範を持つことは避けるべきであり、全世界で統一的な行動規範を持つことが推奨されます。実際のところ、法律解釈といった実務レベルで、全世界で統一的な見解を持つことは難しいと考えられますが、理念や規範というレベルで統一的な見解を持つことは可能だと考えられます。たとえば、「平等」という概念は法体系や宗教観によって異なりますが、グループ企業間の規範として、統一的な考え方を持つことは可能です。したがって、企業の行動規範は、法体系や宗教の壁を越えた普遍的な内容として制定する必要があります。
また、グローバル企業の行動規範で大きな課題となるのは、ずばり翻訳です。日系企業の日本語で作られた行動規範を正確に外国語に翻訳することは案外難しく、特に日本語は微妙なニュアンスを含む言語であるため、翻訳作業に気を使います。日本の本社で一括して翻訳作業を行うのではなく、それぞれ現地会社でネイティブスピーカーのチェックを行うことが求めれます。
行動規範の浸透
企業内で社員に行動規範を浸透させるためには、
① 行動規範自体がすべての社員に理解できる言語で記載されていること
② すべての社員に周知されていること
③ 行動規範について考える機会を定期的に持つこと
が必要です。
企業の中には、アジアに子会社を設立して事業を行っているにもかかわらず、行動規範を日本語と英語でしか作成していないところもあります(①が不足)。また、行動規範の翻訳は作成しているものの、社員に配布していないところもあります(②が不足)。現地言語の行動規範を作成して社員に配布し、そこで満足していることもあります(③が不足)。
行動規範はあくまでも一般的な考え方をまとめたものであるため、個別のケースでこれを適用するためにはトレーニングが必要です。トレーニングについては、最近、Eラーニングを活用する企業が増加していますが、③にあるように行動規範について考える機会を実際に持つことが重要であるため、Eラーニングによる情報伝達だけではなく、ケーススタディ等を用いて社員同士でディスカッションを行う機会を持つことも有効です。
さらに、一定期間を経過するとトレーニング内容を忘れてしまうため、同じプログラムを定期的に繰り返すことも重要です。反復継続とディスカッションが行動規範を浸透させるためのポイントとなります。
行動規範の活用
行動規範は、グループ企業がビジネスを行ううえで適用される普遍的な価値観であり、いわゆる企業の「プリンシプル」と呼ばれるものです。
具体的な事例で考えてみると、仮にメーカーで製品の不具合が発見された場合、どのレベルの不具合を顧客に公表するかが課題となります。企業の行動規範として「顧客第一」が徹底されている場合は、小さな不具合であっても顧客に対して丁寧に説明するでしょう。一方で、そのような行動規範を持たない会社、また行動規範が浸透していない会社は、事実を隠ぺいする方向で動く可能性があります。一時期、世間で話題となった品質偽装問題は、まさに「行動規範の問題」でもあるといえるのではないでしょうか。
法務部長から弁護士への問いかけ
テクノロジーの進歩とどのように向き合うか?
現在、AIのガバナンスについて、さまざまな議論が行われています。法務領域についても契約審査等でAIテクノロジーが既に活用されており、さらなる進歩も予想されるなか、AIが社会や経済にもたらす利益の増進を図るとともに、AIが実装された際のリスク等の課題について検討が求められています。
このような環境のなかで、我々はテクノロジーの進歩に対してどのように向き合っていけばよいのでしょうか。
テクノロジーの活用によって業務が効率化された場合の最たるリスクとして挙げられるのが「失業」ですが、その一方で、「業務品質の向上」「サービス提供範囲の拡大」という利益を得ることができます。
法務関係者がテクノロジーの進歩とどのように向き合うべきか、久保弁護士のご意見をお伺いしたいと思います。
→この連載を「まとめて読む」
佐々木 毅尚
「リーガルオペレーション革命」著者
1991年明治安田生命相互会社入社。アジア航測株式会社、YKK株式会社を経て、2016年9月より太陽誘電株式会社。法務、コンプライアンス、コーポレートガバナンス、リスクマネジメント業務を幅広く経験。2009年より部門長として法務部門のマネジメントに携わり、リーガルテックの活用をはじめとした法務部門のオペレーション改革に積極的に取り組む。著作『企業法務入門テキスト―ありのままの法務』(共著)(商事法務、2016)、『新型コロナ危機下の企業法務部門』(共著)(商事法務、2020)、『電子契約導入ガイドブック[海外契約編]』(久保弁護士との共著)(商事法務、2020)、『今日から法務パーソン』(共著)(商事法務、2021)、『リーガルオペレーション革命─リーガルテック導入ガイドライン』(商事法務、2021)。
著 者:佐々木 毅尚[著]
出版社:商事法務
発売日:2021年3月
価 格:2,640円(税込)