経済安全保障対応が企業の責務に 取締役の善管注意義務を構成
2026年に入り、企業の経済安全保障対応はより必要性を増した。1月に公表された「経済安全保障経営ガイドライン(第1版)」により、その取り組みが単なる任意のものではなく、責務であることが明確にされたからだ。
「ガイドラインは、経済安全保障対応が取締役の善管注意義務を構成することを明確に位置づけています」と語るのは、アンダーソン・毛利・友常法律事務所の鈴木潤弁護士。鈴木弁護士は国内外の法律事務所、国内大手企業の本社や米国子会社、外務省で経済安全保障問題に取り組んできた。
2026年5月上旬現在パブリックコメント手続が進むコーポレートガバナンス・コード改訂案でも、サイバーセキュリティやサプライチェーン、技術流出リスクへの対応を踏まえたリスク管理体制の整備が求められている。さらに、経済産業省が策定中の「企業買収における行動指針」に係るQ&A案でも、経済安全保障対応が企業価値に影響しうることが示されており、未対応の場合、M&A場面で企業価値が過小評価されるリスクがある。
国際情勢を背景に、“通商ルールにおける安全保障例外”の位置づけが、“経済安全保障”と“軍事リスクの現実化”の両方を踏まえたものへと移行したと語るのは、クロスボーダー案件を幅広く取り扱い、経済産業省国際経済紛争対策室に長期の出向経験を有する髙嵜直子弁護士。
「2018年頃のトランプ政権下での米中対立以降、安全保障を理由とした自由貿易の“例外”を拡大しようとする動きがありましたが、現在は中東情勢の緊迫化など、実際の軍事活動がビジネスを直撃する事態となっています。従前は、輸出管理の段階的な規制強化に対する平時の備えが課題でした。しかし、今は“いつか起きるかもしれないリスク”ではなく、“今そこにある危機”としての軍事活動が絡むリスクを前提とした経営判断が求められます」(髙嵜弁護士)。
リスクは千差万別 状況のマッピングと棚卸しの継続を
「経済安全保障のリスクは、各企業の事業内容により千差万別です。まずは自社にとってのリスクを特定し、社内の状況をマッピングすることが必要です」と鈴木弁護士は解説する。
たとえば、技術を取り扱う企業であれば、競争力の源泉となる技術やキーパーソンを、国際取引が基盤の企業であれば、サプライチェーンの依存状況などを丹念に洗い出す必要があるという。
鈴木弁護士が経験した事例では、企業が抱える経済安全保障リスクを特定し、懸念のある取引先や取引内容を抽出したうえで、経済安全保障部門と事業部門が定期的な棚卸しと個別対応を重ね、実効性ある体制を構築した。
また、経済安全保障室を設置するなどして、法務部門、技術部門や営業部門が横断的に経済安全保障対策に取り組む企業も増えているという。
「実効性を保つためには、最新の規制情報を収集し、法務・知財・技術・営業の有機的な連携により、自社に即した情報活用が必要です。取引相手やその技術の使われ方など、各取引に関連する調査範囲もアップデートが欠かせません」(髙嵜弁護士)。
こうした状況を踏まえ、同事務所の経済安全保障・通商プラクティスグループは、幅広い専門分野と多様な経歴を持つ弁護士によって組成されている。日本・海外(米国・中国・欧州を含む)の輸出管理・経済制裁や投資規制、技術・情報の流出対策、インフラ防護やサイバーセキュリティといった各経済安全保障分野の専門家と、M&A、知的財産、独占禁止法など各隣接法分野の弁護士が連携し、経済安全保障に関わる複合的な問題に対応する。政府機関での勤務経験を持つ弁護士等も多い。
「最近は、セミナー参加者に法務・知財だけでなく、経済安全保障室や技術部門の方々も増えています。どのような切り口のご相談であっても、各社の事業実態に即した柔軟かつ戦略的なソリューションを提供できるよう体制作りを進めています」(髙嵜弁護士)。

髙嵜 直子 弁護士
単純な可否の判断を超えた提案 要点を押さえた迅速・柔軟さを目指す
経済安全保障の広範なトピックの中でも、最近になって企業から相談が増えているのは“技術流出対策”だという。特に慎重な対応を要するコア技術の特定、具体的な技術流出対策の手法に加えて、技術を取り扱う部門への人員の配属に関する相談など、その内容は多岐に渡る。
「単に“白か黒か”のリーガルオピニオンを出すだけでは不十分です。取り扱う技術、その重要性、用途、アクセスする人員や管理の手法など、さまざまな情報をヒアリングし、そうした技術が国家安全保障の観点でどのように評価されるのかも踏まえ、テーラーメイドでの提案を行っています」(鈴木弁護士)。
M&Aにおける対内直接投資(FDI)審査も世界的に強化されている。たとえ日本企業同士の買収であっても、買収対象会社が海外に子会社を有している場合、その国の投資審査の対象となるケースがある。
「各国の規制当局への届出の要否をスピーディに判断し、届出が必要となった場合には、安全保障上の懸念がないことを当局に論理的に説明することが重要となります。いずれのプロセスにおいても重要となるのは、国家安全保障に関する“嗅覚”です」(鈴木弁護士)。

鈴木 潤 弁護士
一方で、規制を恐れるあまり、企業が過度に萎縮してしまう状況も散見されるという。
「たとえば、“取引先の取引先”などは調査にも限界がありますが、正当なビジネスチャンスとリスク判断のバランスを個別に検討する必要があります。政府側も過度な萎縮を防ぐためにガイドラインや事例集を公表するなど、判断軸や予見可能性を高める努力をしています。我々も当局との接点や、非公式な形も含めた意見交換を通じて、実務的に妥当といえる最新の運用感覚の把握に努めています。条文だけでは把握できない制度背景を踏まえ、各社ごとの許容範囲を探り、柔軟な解決策を提案していきたいと考えています」(髙嵜弁護士)。
読者からの質問(事業部の協力が得られない場合の対応策)
※ 「アンダーソン・毛利・友常法律事務所」は、アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業および弁護士法人アンダーソン・毛利・友常法律事務所を含むグループの総称として使用しております。
髙嵜 直子
弁護士
Naoko Takasaki
04年東京大学法学部卒業。06年東京大学法科大学院修了。07年弁護士登録(第一東京弁護士会)。08年アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所。12年Stanford Law School修了(LL.M.)。13年ニューヨーク州弁護士登録。16~24年経済産業省通商政策局通商機構部(現 国際経済部)出向。
鈴木 潤
弁護士
Jun Suzuki
04年慶應義塾大学法学部卒業。06年立命館大学法科大学院修了。09年弁護士登録(第一東京弁護士会)。15年The George Washington University Law School修了(LL.M.)。17年ニューヨーク州弁護士登録。16〜22年ソニーグループ株式会社法務部。22~24年外務省総合外交政策局経済安全保障政策室(現 経済局経済安全保障課)課長補佐。24年アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所、経済産業省技術流出対策ガイダンスに関する研究会委員。