はじめに
近年、持続可能な世界の実現を目指すための新たなグローバルスタンダードとして、企業の長期的な成長には
- 環境(Environment)
- 社会(Social)
- ガバナンス(Governance)
に配慮した“ESGに取り組む経営”が重要であるという考え方が広まっています。そこで、このコラムでは4回にわたり、欧州におけるESG法体制や企業の取り組みについて、現地の在欧日系企業の声も含めて最新情報をお伝えします。
第1回目の本稿では、欧州・英国におけるESGの法的位置づけについて説明します。
欧州におけるESGとは
ここ数年、英国や欧州では、環境・社会・ガバナンス(以下、「ESG」といいます)問題を管理する規制の枠組みが急速に発展しています。これは、政治的観点にとどまらず、企業のESG管理に対する責任を問う具体的な仕組みを導入するよう、政府機関や業界団体に、企業や一般市民を含むステークホルダーが強い働きかけを行うことで実現したものです。いまや、ESGへの取り組みは、会社に対する社会的評価や経済的リスクに大きな影響を与えるものとして、英国や欧州の企業にとっては避けては通れないコンセプトとなっています。
一般的に、ESGの重要なテーマは以下の七つに分類されています。
① 気候変動への対応(脱炭素社会)
② 人と自然の共生社会(生物の生態系と多様性の保護)
③ 資源効率・循環型社会
④ 職場福祉と平等
⑤ 先住民や地域社会への影響への配慮
⑥ 現代の奴隷問題対策
⑦ ガバナンス対応
英国や欧州の企業では、ここ2年の間にステークホルダーの期待に沿うように導入されてきたこれらの分野に絡む新たな法的義務への対応が評価されるだけではなく、ESGテーマへ取り組む姿勢についても問われる風潮から、企業としての対応の検討が急がれています。
ESGに絡む規制はさまざまな形で表面化してきており、法律はもとより、遵守すべき基準、当局への報告や一般への公開義務、コンプライアンス管理へも影響を及ぼしており、場合によっては民事責任や刑事責任が問われたり、行政処分を受ける可能性が出てきています。さらにビジネス面からは、投資家の意識の高まりから、特定のESG認証条件を満たしていない、またはESG報告を行っていない企業を投資対象から外すというケースも最近ではよく聞かれます。
ESGを反映したガバナンス体制
SFDR・CSRDに基づく開示・報告
欧州委員会は2021年に、フィナンシャルアドバイザーやアセットマネジャーに対して、契約上や公開情報としてのESG開示の透明性向上を求める一連の規則を含むサステナブル・ファイナンスパッケージを採択しました。このパッケージに含まれるサステナブルファイナンス開示規則(SFDR)は、金融セクターを対象にリスクおよびポートフォリオ管理プロセスにESG要素を組み込んだ要件を設け、サステナビリティ開示の透明性の向上を目的としています。また、欧州タクソノミーにおいては、投資家、金融機関、企業に対して透明性を提供し、環境的にサステイナブルな経済活動のEU統一分類体系を確立し、グリーンな経済活動と投資を分類する枠組みを設けています。さらに、企業サステナビリティ報告指令(CSRD)では、欧州地域で活動するすべての大企業に対して、バリューチェーンの検討を含めた同様の要件をサステナビリティ情報開示基準としてその導入を義務づけ、2022年内には本指令を欧州各国の国内法に落とし込む見通しとなっています。企業としては2023年の会計年度からのサステナビリティ情報開示基準への対応を求められることとなり、2024年1月1日にCSRDに沿った報告書を提出しなければならないとされています。
TCFDに基づく開示・報告
2015年にはG20の要請を受けた金融安定理事会により、気候関連の情報開示および金融機関の対応を検討するための「気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures:TCFD)」が設立されました。これにより、2021年には英国で金融機関や上場企業に対してTCFDの開示が義務化され、さらに2022年には、従業員数が500名を超え、売上高5億ポンド以上のすべての企業に対して、TCFDに沿った報告を行うことが義務化されました。
これらの報告・開示義務は、法律の適用を直接受ける金融機関や大企業自身のみならず、その投資先企業やビジネスパートナーなどの主要なステークホルダーにも影響を及ぼすことに留意しなければなりません。会社が自らの開示・報告義務を果たし透明性を確保することにより、アセットマネジャーや金融市場参加者が、タクソノミー基準を満たし、SFDRに基づく報告義務を果たす企業を厳正に評価し、投資先として優先しているように見受けられます。同様に、TCFDの開示義務に拘束される企業は、その遵守のために顧客やステークホルダーに対して特定のデータを開示することが求められます。
これらの基準を満たさないグローバル企業は、投資家によって投資ポートフォリオから部分的または全面的に排除される風潮が、現場において広がっています。
コンプライアンス―ESGデューデリジェンスの必要性
ESG経営の取り組みとして、企業には、その報告義務の履行だけではなく、実務レベルのバリューチェーン上でESGを実現させる手段として遵守すべき法的義務を確認する、“ESGデューデリジェンス”の実施の必要性が叫ばれています。
英国
たとえば、英国においては、現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015/MSA)により、英国で事業を行う一定基準を満たす大企業に対して、奴隷労働や人身売買防止のために自社のサプライチェーン上において行っている取り組みの内容を毎年、声明として発表することが義務づけられています。この義務自体は特に厳しいものではありませんが、MSAの遵守は独立の執行機関によって監督、管理されるようになりました。
また、新たに“予防の失敗”―つまり、防止措置を講じていない場合や措置が不十分な場合―への処罰が提案されるなど、法律で求められるESGコンプライアンスの遵守を確認するためのデューディリジェンスの重要性は増してきており、今後、このようなデューデリジェンスの必要性がサプライチェーン以外にも拡大する可能性も示されています。
そのほかに英国では、森林リスクコモディティについても類似の枠組みの構築が進められており、大企業は規制対象商品のデューデリジェンス体制の確立を求められ、違法に生産された商品が自社のサプライチェーンに流入するリスクを特定、評価、軽減しなければならないとする規則の導入も検討されています。
欧州
一方で、欧州では2022年2月に、すべての大企業と上場企業に適用されるコーポレートサステナビリティ・デューディリジェンス指令案(CSDD指令案)が発表されました。この指令案は、適用企業に対しバリューチェーン全体の環境や人権に関するデューデリジェンスを義務化し、リスク分析およびデューデリジェンスの結果に基づく戦略の作成と実施を求めています。なお、本指令案におけるデューデリジェンスの対象範囲は、自社のみならずその子会社やビジネスパートナーへも拡大するとし、第三者への監査委託や苦情処理メカニズムの運用、ステークホルダーの関与などについても言及しています。
ESGに絡む法的責任
このようにESGへの取り組みに関心が集まる中で、ESG管理に絡む企業の過失や誤解を招くような主張により、当該企業の訴訟に晒されるリスクも高まっています。特にグローバル企業などでは、ESGに関する公約を遵守できていないと指摘された企業がその責任を追及されるケースが増えてきています。
その一例として、フランスでは、企業注意責任法により一部の企業に対してサプライチェーン全体のESGリスクを評価・防止する直接的な義務が課されていますが、この義務の遵守が不十分であるとしてNGOが声を挙げる事案が度々起きています。フランスでCasino事件として知られる事案では、国際的なNGOグループが、ブラジルとコロンビアにおける畜産事業に関する環境および社会的配慮義務に違反があるものとしてフランスのスーパーマーケットを訴えました。
英国においては、(ESG管理に端を発する)ESGリスク防止措置を講じる義務はないものの、Vedanta v Lungowe事件により確立された「想定される注意義務」原則に対する過失に対して責任を負うことが企業に求められています。これは、何らかの基準を設けて公約する企業グループは、その基準が達成されなかった場合に損害や被害を被る人に対してコモンロー上の注意義務を負う可能性があり、親会社が掲げる公約は当然にグループ会社管理方針にも反映されるものであるとして、これを根拠に子会社管理にかかる合理的な期待に対して実務上の違反から生じた過失請求に対する親会社の責任を認めたものです。
Dyson(UK)事件では、Dysonが契約したマレーシアの工場において従業員に対する著しい人権侵害があったとして、労働者による集団代表訴訟が起こされました。原告によれば、ダイソン(英国法人)は、サプライチェーンにおける搾取的行為を防止するために講じたと主張する措置を含む「責任ある調達に関する方針および手順」として発表された声明により、マレーシアの労働者に対する注意義務を負うものと主張されていました。この訴訟を通じて、ダイソンはマレーシア工場の違法な状況について十分な認識があったとされ、その結果、“自らの声明に反した行為により利益を得ていた”と解釈されることとなりました。
これらに加え、企業は、サステナビリティを主張する際の誠実性に関して、管轄当局からだけではなく市民社会からも、かつてないほどの監視の目を向けられているといえます。市民社会は、企業に対してより野心的なコミットメントを要求する風潮にある一方で、管轄当局(広告基準局や競争市場局など)は、グリーンウォッシング(ごまかし)に該当する可能性のある企業のサステナビリティに関する主張に対する調査を強化しています。これに絡み英国では、企業の主張の誠実性を図る新たな基準としてグリーン・クレーム・コードを導入しており、実際にOatly事件やShell事件などにおいてグリーンウォッシングに該当すると判断されました。
企業の社会的評価への影響
Dyson(UK)事件のような集団訴訟やNGOによる大がかりな訴訟とならないまでも、ひとたびESG問題が提起されると、その解決の過程で企業のブランドイメージや社会的信用に傷がついたり、金銭的損害が発生する可能性があることは言うまでもありません。注意義務違反等の過失訴訟と並んで、サプライチェーンにおける人権が問題となったBoohoo事件やグリーンウォッシングが問題となったDWS事件など、ジャーナリストや元従業員による情報の暴露や会社の社会的評価へのリスクも存在します。英国では、ロビー団体がFTSE350対応企業に対して、取締役会役員構成の人種や性別を開示し十分な多様性のある“信頼できる”計画を公表するよう公に圧力をかけていることが現地メディアでも騒がれています。さらに、野心的なESG方針とコンプライアンス遵守の提示に対する期待の高まりは、ESG的責任の達成を支持する第三者によって経済的にサポートされる戦略的な“スラップ訴訟”を生み出すことも予想されます。
→この連載を「まとめて読む」
川井 拓良
Dentons法律事務所 パートナー弁護士/EMEA地域ジャパンデスク統括責任者
複数の在欧大手国際法律事務所および日本の大手証券会社勤務などを経て、2015年よりDentons法律事務所ジャパンデスク統括責任パートナー弁護士として勤務。東欧、欧州での弁護士活動は20年を超え、日系企業の進出案件やクロスボーダーM&A等、当地域での一般的な進出サポートから日系企業が当地で直面するさまざまな問題への対応を含め、多岐にわたり豊富な実務経験に基づくアドバイスを行っている。
ステファン・シェルゴールド
Stephen Shergold
Dentons法律事務所 ロンドンオフィス パートナー弁護士
Dentons法律事務所ロンドンオフィスにおいて20年以上の経験を持つ環境法のエキスパート。実務では環境関連の許認可から汚染責任、廃棄物処理、国際機構変動メカニズム、石油・ガス、再生可能エネルギー法関連、ESG問題はもちろん、それらに派生する企業側のインシデント対応、コンプライアンス問題、責任リスク管理へのアドバイスも行っている。またプライベートセクターへのアドバイスにとどまらず、EUおよびエマージングマーケットにおいて環境関連規制の草案作成に携わった経験も持つ。
ケイティ・カードン
Katy Carden
Dentons法律事務所 ロンドンオフィス アソシエイト弁護士
Dentons法律事務所ロンドンオフィスの環境チーム所属。環境および衛生安全関連法、人権、現代奴隷問題、サステナビリティ等を含むESG問題に精通。環境許認可、廃棄物責任、コンプライアンス問題や責任リスク管理に絡むアドバイスも行っており、多国間取引に絡む産業資産や製造物責任、当局からの規制調査や強制執行措置対応に関する経験も持つ。
Dentons法律事務所は世界80の国と地域に200を超えるオフィスを構え、弁護士数12,000名を擁する世界最大手の国際法律事務所です。日本にはオフィスはないため、日系企業のEMEA地域へのご進出・ご相談についてはジャパンデスクにてカバーしています。