今、「労働条件の不利益変更」の検討が必要となる背景
近年、さまざまな場面で指摘されているように、我が国の国際競争、および、個人単位の労働生産性は、低下の一途を辿っています。国際経営開発研究所(IMD)が調査した「国際競争力指標」では、日本は1992年には1位でしたが、2023年には35位に順位を落としています。また、経済協力開発機構(OECD)の調査による「労働生産性」は、1992年にはOECD加盟国中9位だったところ、2023年には30位となっています。
この状況に鑑みれば、少なくとも企業サイドとしては、その存続のために、個々の従業員により高いパフォーマンスを求めざるを得ないところであり、そのためには、貢献度の高い従業員には高い処遇(地位、報酬)で報いつつ、そうでない従業員に対しては処遇を下げていくか、最終的には企業の組織より退いてもらうこと、すなわち解雇(もしくは雇い止め)を行うことが不回避といえるでしょう。
しかし、我が国の労働法制は、解雇権濫用法理(労働契約法15、16条)に見られるように雇用保障が非常に強く、勤務成績不良者に対する解雇については、その不良の程度が著しく、事業運営や企業秩序に支障をきたすような事案でない限り、解雇は認められないことが多い注1。そのため企業としては、勤務成績不良者に対して教育指導改善の努力をしつつも、解雇は困難であるという裁判例の現実に鑑み、企業への貢献度によって処遇を上下させるシステム(言わば、能力に応じた処遇システム)の導入を検討することが急務となっています。
ところが、現在の我が国の企業は、上述のとおり、強度の雇用保障に伴う終身雇用制を前提とした人事制度(つまりはその根幹ともいうべき賃金制度やキャリアアップ制度)をとっていることが多く、近年、急速に変化しているものの(そもそも、本稿もそうした流れに沿って書かれているのですが)、基本的には年功・経験に相関して処遇も上昇し、いったん上昇した処遇は特段の事情がない限り大幅に下がることがないという企業が、今なお多数を占めるのが実情と思われます。いわゆる「働かない中高年」が存在する制度です。
こうした制度は、日本の経済状況に余裕がある間は問題視されませんでしたが、上述のとおり、国際競争力も労働生産性も大きく低下してしまった現状においては、もはや維持していく余力がありません(むしろ、従来の制度こそが、国際競争力等の低下の大きな要因ともいえるでしょう)。
ここに、今、改めて、就業規則、もっといえば人事制度の不利益変更について、検討されるべき理由が存するのです。
不利益変更の実施における留意点
就業規則(人事制度)の不利益変更は、一部の従業員に不利益をもたらすため、当然ながら企業が恣意的に行うことはできません。この点、労働契約法9条および10条に不利益変更が有効となる要件が規定されており、簡単にまとめると、以下のとおりとなります(①、②、いずれかの方法で足ります)。
① 不利益を受ける労働者と合意して就業規則を変更すること(労契法9条)
② 就業規則の不利益変更につき、従業員に周知し、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであること(労契法10条)
企業規模(すなわち、従業員の人数)が大きくなれば、不利益を受ける従業員全員の個別合意をとる方法(①)は現実的ではないため、実務としては、①を追求しつつ、個別同意を取り切れない従業員に対しても不利益変更を有効になし得るように、併せて合理性を確保する方法(②)もとることとなりますが、結論をいえば、不利益変更の要点は、この合理性をどう確保するかにあります。
もちろん、合理性の確保には、労働者の受ける不利益の程度(従業員側の事情)、労働条件の変更の必要性(企業側の事情)、変更後の就業規則の内容の相当性(社会一般からの評価)、労働組合等との交渉の状況(手順)、その他の就業規則の変更に係る事情といった、極めて広汎な事情による理由付けが必要となります。それだけに、企業側の理論構成およびそれに沿った準備(不利益変更以前からの企業努力、不利益変更手続中の諸策を含めた総合的な施策)によって、法的有効性の結論は意外と左右し得る(左右されてしまう)チャンスと危うさを含んでいます。
そうしたチャンスを逃さぬよう危機に備える努力をすることで、就業規則の変更の可能性は高まります。そして、そこに企業の盛衰がかかっている点に、本問題を取り上げる意義があるのです。
- 菅野和夫・山川隆一『労働法』〔第13版〕(弘文堂、2024年)754〜755頁。[↩]
岡芹 健夫
弁護士法人髙井・岡芹法律事務所 代表社員弁護士
91年早稲田大学法学部卒業。94年弁護士登録(第一東京弁護士会)、同年髙井伸夫法律事務所入所。10年「髙井・岡芹法律事務所」に改称、同事務所所長就任。23年「弁護士法人髙井・岡芹法律事務所」に組織改編、同事務所代表社員就任。第一東京弁護士会労働法制委員会委員、一般社団法人日本人材派遣協会監事および経営法曹会議幹事等を歴任。著作『取締役の教科書 これだけは知っておきたい法律知識〔第2版〕』(経団連出版、2023)、『労働法実務 使用者側の実践知〔LAWYERS’ KNOWLEDGE〕〔第2版〕』(有斐閣、2022)、『労働条件の不利益変更 適正な対応と実務』(労務行政、2015)、『雇用と解雇の法律実務』(弘文堂、2012)ほか。