コンプライアンス違反事件の裏には、必ず「企業風土」の問題がある
「売上の過度な重視」「言ったもん負け」「言うべきを言わず、言われたことしかしない」…コンプライアンス違反等の原因として、企業風土が言及されることが増えています注1。
「コンプライアンス=法令遵守。ルールや制度を整備すればよい。」という考えは過去のものになりつつあります。コンプライアンス違反が起きにくい風土を「創る」ことも、コンプライアンスの一部になりつつあるのです。
■企業風土への取り組みは喫緊の課題
コンプライアンスと企業風土の関係は以前から指摘されていました。たとえば、犯罪学者のドナルド・R・クレッシーさんが1950年代に発表した「不正のトライアングル」における「正当化」も企業風土と深い関係がありますし、東洋英和女学院大学教授で社会心理学者の岡本浩一さんは、2006年に「組織的違反の原因は組織風土(企業風土)にあり、命令系統の整備はほとんど違反防止に効果がない」と結論づけています注2。
そこで、このコラムでは、私が実際に企業のコンプライアンス研修で取り入れている企業風土に働きかける手法や、私の仲間たち注3が取り入れている工夫例の中から三つを厳選してみなさんにご紹介したいと思います。
「当社では、企業風土の問題はコンプラ部門の守備範囲外だ」という方は、経営企画や人事など、企業風土の問題を取り扱う部門の方に本コラムをご紹介いただければ幸いです。
研修の手法①:エンゲージメントカード~対話促進でハラスメントの起きにくい風土へ
【概要】
30~40分のワークを通じて「自分らしさ」と「チームらしさ」を発見することができるカード
【活用例】
ハラスメント研修において、世代間・部門間・ジェンダー間の価値観の違いを認識してもらい、安心してコミュニケーションが取れる企業風土醸成のきっかけにする。
※ 画像はいずれも株式会社トリプルバリュー作成「エンゲージメントカード認定ファシリテーター講座(Basic)」より転載
エンゲージメントカードは、株式会社トリプルバリューさんが制作・販売しているカードです。88枚1組のカードで、カードの表面には「多様性」「協力」といった価値観がそれぞれ記載されています。
基本的な使い方は、以下のとおりです。
① カードをシャッフルして7枚ずつ配ります。カードはオープンにして並べます。
② 残りのカードを、「カードの山」として真ん中に伏せて置きます。
③ 「カードの山」、または「手放されたカード」から1枚引きます。
④ 自分の価値と合わない、ピンとこないカードを手放します。
⑤ カードの山がなくなるまで順番に繰り返します。
※ https://engagement-card.com/より一部を要約して転載
ポイントとなるのは、④のカードを手放すときです。このとき、カードを手放す人は「私は〇〇のカードを手放し、代わりに□□のカードを選びます」と宣言します。他の参加者はそれを受けて
- 「□□(代わりに選んだカード)を大事にしている理由は?」
- 「そう思うきっかけとなったエピソードは?」
- 「他に手放すかどうか悩んだカードはありますか?」
などと質問し、カードを手放した人はそれらの質問に答えていくのです。
私は、監事を務める「日本ブランド経営学会」でこのカードを紹介されてすぐに「エンゲージメントカード認定ファシリテーター講座(Basic)」を受講し、まず手始めに、所内で立ち上げた勉強会のメンバーとの対話にエンゲージメントカードを使用してみました。私は、飲み会等を通じてそれなりにお互いに価値観を共有しているメンバーを集めたつもりでしたが、ワークショップ後
- 「三浦さんは飲み会では不真面目な話しかしないけど、本当は熱い思いがあることがわかった」
- 「普段、なかなか自分の価値観を語り合う場が無かったので楽しかった」
- 「真面目なイメージの〇〇さんが“遊び心”を大切にしているのを聞いて、親近感が湧いた」
といった「新たな気づき」に関するフィードバックが多数寄せられたのです。
長引くコロナ禍によって、世代間・部門間・個人間のコミュニケーションは思った以上に減っています。お互いの価値観への理解不足やコミュニケーション不足は、ハラスメントをはじめとするコンプライアンス違反が生まれやすい企業風土の温床になります。たとえば、コンプライアンス研修のうち30分~40分程度を、エンゲージメントカードを使ったワークショップに割くことで組織内の対話を促進し、コンプライアンス違反が生まれにくい企業風土を創るきっかけとすることが期待できます。
また、世代別・部門別に「私達の会社が大切にしている(と思う)価値観」について、ワークショップを行うことも有効です。コンプライアンス活動においては、いわゆる“Tone at the Top”(経営陣のコミットメント)が重要であるとされています。たとえば、世代別・部門別のコンプライアンス研修でこのワークショップを行うことで、経営陣の価値観が現場に正しく伝わっているかを知ることができます。
研修の手法②:グラフィック・レコーディング~課題の見える化で経営陣に伝える
【概要】
専門の「グラフィックレコーダー」が、研修やワークショップの内容を、リアルタイムに文字とイラストでわかりやすくまとめてくれるもの
【活用例】
競争法や腐敗防止研修のケーススタディにおける議論を「見える化」し、現場の従業員が感じている課題を経営陣に正しく伝える。
グラフィック・レコーディングは、議論やワークショップの内容を絵や図を用いてリアルタイムに可視化・記録していく手法です。会議のテーマや意見の相互の関係性や構造をその場で「見える化」し、参加者全員が同じ視点に立つことで、隠れた問題点が浮き彫りになったり、参加者の感情や雰囲気も含めて共有できたりする点にメリットがあり、ケーススタディを行う研修や、ワークショップ型研修など、受講者同士がコミュニケーションを行う研修で威力を発揮します。
研修におけるケーススタディやワークショップでは、「発言力を持つ人や声が大きな人の発言に議論が引っ張られてしまい、本題とはまったく関係のない話に終始してしまった」とか、「事業部門と一緒にコンプライアンス活動の問題を発見し、解決のヒントを探りたかったのに、受講者から詰問調の質問攻めにあってしまい、雰囲気の悪いまま終わってしまった」…という失敗談はよく聞かれます。
首尾よく議論が充実したものになったとしても、その雰囲気が経営陣に正しく伝わらなければ、企業風土を変えることは難しいでしょう。たとえば、
競争法違反の問題の大きさについて真剣に議論がなされ、改めて違反行為を絶対にしないことを確認しました。
という文章での報告では、「真剣に」とは実際にどういう雰囲気だったのか「私語なく真面目に」という程度なのか、「参加者が心の底から腹落ちし、充実感に満ちた雰囲気だった」のかは伝わりません。場合によっては「まあ、報告者はたいてい“真剣に”と書くだろうから、“真剣”には大した意味はないだろう」と思われてしまうかもしれません。
グラフィック・レコーディングは、もともと多様な価値観や文化を持つ人々が知恵を出し合い、新しい価値を共創するための手法として誕生しました。そのため、グラフィック・レコーダーには、ワークショップのファシリテーションを得意とする人がたくさんいます。複雑で掴みどころのない課題を可視化し、リアルタイムにまとめながら、双方向の学びへと拡げる。もし、みなさんが、単なる法令知識の伝授にとどまらない「考えるコンプライアンス研修」の企画を考えているのであれば、グラフィック・レコーディングはうってつけの手法といえます。
「百聞は一見にしかず」ということで、ここまでの話をグラフィックレコーダーの松田久仁子さんに約3分半のグラレコ動画にまとめてもらいました。
議論をしながらリアルタイムにまとめていくグラレコの雰囲気がよくわかる動画に仕上がっておりますので、ぜひご覧ください。
(音が出ますので音量にご注意ください)
▶ グラフィックレコーディングとは
いかがでしょうか。私の文章を読むよりもよっぽどグラフィック・レコーディングの効果が伝わると思います。
私が初めてグラフィック・レコーディングを知ったのは、数年前にNHKの「クローズアップ現代+」を視聴したときでした。当時、番組では取り上げた社会問題について、スタジオでリアルタイムにグラフィック・レコーディングを行い、問題点が整理されていたのです。当時注目され始めたばかりのこの手法に私は衝撃を受け、コンプライアンス研修にも活用できないかと考えて、知り合いの伝手を辿ってコンプライアンス研修に協力してくれるレコーダーを探し始めました。
しかし、グラフィック・レコーディングは経営企画や広告といったクリエイティブ分野で活用されることが多かったことや、当時の私の説明の拙さも相まって「コンプライアンス」という「クリエイティブとは真逆」と思われがちな分野で力を貸してくれるレコーダーは皆無でした(一時は、レコーダーの方を探すのを諦め、自分自身でこの技術を身につけようと養成講座に参加したこともありました)。
その後、コンサルティング会社のBig West Brothers 合同会社さんなどの協力を得て、コンプライアンス×グラフィック・レコーディングの可能性や意義に賛同してくれる方が徐々に増え、私やBig West Brothersさん自身が行う研修で活躍してもらう機会も多くなってきました(なお、現時点で私の知る限りでは、コンプライアンス×グラフィック・レコーディングを展開しているのは同社だけです)。
グラフィック・レコーディングを活用すれば、「コンプライアンスは小難しいもの」「できれば関わり合いたくない」と敬遠する企業風土を変えることができるかもしれません。
▶ コンプライアンスセミナーのグラフィック・レコーディングの例
※ プロネクサス×HTC 第7回コンプライアンスフォーラム「元上司部下が語る、SDGsで“編み直す”企業コンプライアンス活性化の戦略とは」(2021年1月15日開催)より
グラフィック・レコーディング:松田久仁子さん
研修の手法③:動画~興味を惹き、心を動かす映像の力
【概要】
コンプライアンスとは直接関係のない動画を引用したり、研修用に動画を作成する。
【活用例】
E-Learningや、対面の研修で流すことで、受講者に研修内容を強く印象づける。
最後にご紹介するのは、動画の活用です。これも「法律ばかり、文字ばかり」とコンプライアンスを敬遠する企業風土を改善したり、受講者の感情に訴えかけることで意識を変え、違反が起きにくい組織風土を創るのに役立つ手法です。
1971年に米国の心理学者、アルバート・メラビアンは、「話し手が聞き手に与える影響は言語情報が7%、聴覚情報が38%、視覚情報が55%の割合である」と明らかにしました。また、「1分間の映像には、180万字に匹敵する情報量がある」ともいわれています。短い時間で多くの情報を伝える必要があるコンプライアンス研修でも動画を使わない手はありません。
私が実践しているのは、一見コンプライアンス研修とは無関係な動画を研修に活用することです。私がよく引用する動画は、「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」という映画の予告編動画です(『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』公式サイト(英語))注4。
この映画は、1961年にイェール大学のスタンレー・ミルグラム博士が行った心理実験を題材にしたもので、人は「権威」の前では弱い存在であり、命じられるがまま間違った行為をしてしまうものである、ということが語られています。
映画自体はフィクションであり、ミルグラム実験自体もその後さまざまな批判が寄せられているところではありますが、重要なのは、この動画をコンプライアンス研修で流すと
- 「まさに、うちの会社と同じだ」
- 「いや、文化圏の異なるアメリカの話で日本企業には当てはまらない」
など、「ひとこと言いたい」という感情が受講者に湧きやすいということです。
コンプライアンスの最大の敵は「無関心」です。企業風土に働きかけるには、まず受講者の感情に訴えかけ、コンプライアンスに興味を持ってもらうことが不可欠です。映像のプロフェッショナルが視聴者の感情や興味に訴えかけることを目的として作ったものほど、興味をそそられるものはありません。
さらに進んで、e-ラーニング用の教材に、経営陣に対するインタビュー動画を盛り込んだり、「動くレジュメ」を作るなど、自分たちでコンプライアンス研修用の動画を作成し、受講者の興味を引き、飽きさせない工夫をしている企業もあります。
こうした企業では、広報部門との緊密な連携がなされているのも特徴の一つです。広報部門や彼らと付き合いがあるデザイン会社などの知見を活用して、動画作成が行われているのです。
おわりに
以上、企業風土に働きかけるコンプライアンス研修の工夫例を三つご紹介しました。いずれも、ノウハウとしても確立されているもの、私が行う企業のコンプライアンス研修で導入実績があるものばかりですので、自信を持ってお勧めできるものばかりです。
一歩進んだコンプライアンス研修を考えている方は、活用を検討してみてはいかがでしょうか。
- 筆者はこれまで、投資詐欺、カルテル、データ偽装、金融商品の不適切販売等、さまざまなコンプライアンス違反事件の処理に携わってきましたが、いずれの企業(組織)においても、上層部への過剰な忖度とプレッシャー、強力な同調圧力などの組織風土の問題がありました。[↩]
- 岡本浩一・鎌田晶子『属人思考の心理学―組織風土改善の社会技術(組織の社会技術3)』(新曜社、2006)[↩]
- 筆者は約100社のコンプライアンス担当者等が参加する「Re:houmu」という勉強会を主催しています。本コラムではRe:houmuに寄せられた各社の工夫例も含まれています。[↩]
- 動画によっては、研修会場やオンライン研修でそのまま上映すると著作権法上の問題がある場合もありますので、その点は注意と工夫が必要です。[↩]
三浦 悠佑
渥美坂井法律事務所・外国法共同事業 パートナー弁護士
日本ブランド経営学会 監事
2002年一橋大学商学部商学科卒業(ブランド論)。2006年弁護士登録。大型投資詐欺、検査偽装、金融商品の不適切販売などコンプライアンス違反事件の処理を歴任。大手国際海運企業に3年間出向し、本社およびグループ企業を対象とした独禁法・下請法コンプライアンスおよび法務機能の強化プロジェクトに従事する。約100社が参加するコンプライアンス分野の情報交換ネットワーク“Re:houmu”主催。週刊エコノミスト「企業の法務担当者が選ぶ「頼みたい弁護士」13選」危機管理部門第3位(2021)、The Best Lawyers Governance and Compliance(2020~2021)。