経済安全保障や人権の観点からの規制強化でリスク・不確実性が拡大
企業活動やサプライチェーンのグローバル化に対応するため、通商法に通じた専門家を多数擁する森・濱田松本法律事務所。“通商法の最高裁”とも言われるWTO(世界貿易機関)上級委員会で日本人初の法務官を務めた宮岡邦生弁護士をはじめ、経済産業省や外務省などにも積極的に人材を送り出し、WTO協定やTPP(環太平洋パートナーシップ)協定など国際ルールの整備・運用にも積極的に関与してきた。このいわゆる伝統的な“通商法”に対し、近年注目が増しているテーマが米中対立などを背景とした経済安全保障や人権の問題だ。
宮岡弁護士はこの状況について「これまでの通商法がボクシングのリング上での闘いだとすると、現在の状況には半ば場外乱闘的な側面もある」と表現する。
2017年のトランプ政権誕生後、米中による追加関税の応酬に始まった米中対立は、その後、重要技術分野における自国産業の優位性維持や自律性確保を含む経済安全保障に拡大した。さらに、ミャンマーやウイグルにおける人権問題への関心の高まりも背景に、バイデン政権下の米国を筆頭に欧米諸国で人権を理由とする規制強化が続いている。一方の中国も、2021年6月に反外国制裁法を施行し、外国の差別的な制限措置に対し、中国が相応の対抗措置をとることを規定した。WTO協定を中心とする伝統的な通商法は、自由で無差別な貿易を根本原則とするが、安全保障や人権の観点から特定国を狙い撃ちにした措置が増加することで通商法の“例外”が拡大し、日本企業にとってもリスクや不確実性が急激に高まっているのだという。
中国法務に20年以上関与し、アジアの取引・通商問題に取り組んできた石本茂彦弁護士は「2022年は中国の反応が非常に重要になるでしょう。欧米への対抗的な措置を可能にする法整備が着々と進んでおり、米国等の圧力を押し返す好機を見計らっています。反外国制裁法では、米国の規制に従い中国との取引を停止した日本企業の制裁リストへの掲載や、取引停止による中国企業の損害についての賠償請求を可能にする規定も設けられています。今は必ずしも積極的に適用していませんが、日本企業は既に米国と中国の板挟みの状況となっており、リスクがいつ現実となってもおかしくない状況です」と指摘する。
板挟みの打開のためには各国の正確な状況把握が出発点
経済法の主要分野である競争法・独占禁止法専門家としての立場も活かして“国際経済法”と呼ばれる通商法分野の案件にも数多く携わっている高宮雄介弁護士は、海外贈収賄規制や各国の消費者保護法を含む国内外の各種コンプライアンス対応に関する企業からの相談を受けてきた経験を踏まえ、現在の状況について、「板挟みの状況を突破する方法は、双方の規制を正確に理解することが不可欠だ」と強調する。
「結果としてどちらを優先するべきかの判断を迫られますが、その場合でも、例えば欧米の規制に沿うことが本当に中国の規制に違反するかについては、慎重な検討が必要です。中国側の規制は曖昧な点も多く、何がどのような形で規制に反するか、規制に反しないと整理する余地は本当にないのかをまず明確にしなければ経営判断ができないでしょう」(高宮弁護士)。
中国の規制が曖昧である点については「あえて解釈の余地を残した側面がある一方で、すべてを曖昧と判断すると状況を見誤る」と語るのは石本弁護士。
「以前から中国の法令執行の予測は難しいですが、法令そのものは以前と比較してかなり明確になりました。当局の裁量が大きい領域か、判例や裁判例が積み重ねられクリアになっている領域かを正確に把握する必要があります」(石本弁護士)。
同事務所は、他の事務所に先駆けて1990年代半ばから中国プラクティスを開始し、1998年に北京オフィスを開設、2005年には上海オフィスを設置した。東京・大阪・北京・上海の4拠点に日本・中国の弁護士資格保有者、パラリーガル、および翻訳スタッフが在籍し、一体となって中国全土における日本企業のビジネスをサポートしてきた歴史がある。
「本分野で先鋭的に影響が表れているのは製造業で、通信機器や半導体といった分野で特に顕著ですが、すべての分野に飛び火する可能性があります。対処するには、まずは正確に状況を把握することが出発点です」(石本弁護士)。
複雑化する課題の解決には“専門性のかけ算”が必須
ビジネスと人権の問題は長らく通商法とは独立した分野として取り組まれてきたが、人権を理由とする輸出入規制などの増加により急激に重要テーマ化したと語るのは梅津英明弁護士。梅津弁護士は、国際的なM&A、ガバナンス、危機管理、通商法に加え、ビジネスと人権の問題にも長らく取り組んできた。
「従前は国際機関のガイドラインなどソフトローを中心に地道に取り組まれていましたが、人権外交を掲げるバイデン政権の影響もあり、輸出入規制といった通商法のツールや経済制裁を駆使して強制労働等の問題に取り組むようになりました。これはいわばソフトローによる漢方薬のような手法から劇薬を用いた手法の転換といえるかもしれません。この状況下では、これまでの人権分野の実務と通商法の両方の正確な理解がなければビジネスが行えない状態です」(梅津弁護士)。
経済安全保障についても人権と同様に、もはや通商法の理解のみで完結する案件はなくなっていると宮岡弁護士は指摘する。
「例えば経済安全保障上の観点からの先端技術分野の輸出規制が拡大していますが、規制の対象や内容を正確に理解するためには暗号や半導体、エレクトロニクスなどの技術知識が必要になることも多くあります。また、日本の外為法、米国輸出管理規則(EAR)などさまざまな法域の規制が同時に問題になることも増えています。さらに、違反リスクの大小を判断するためには、規制の背景となる国際政治の理解も欠かせません。これらの知識・情報を総動員して、ビジネスにとって最適な判断を行うことが必要になっています」(宮岡弁護士)。
経済安全保障の観点においては、重要な技術を有する企業に対する海外資本による買収等を規律するルールとして、日本では外為法、米国では外国投資リスク審査現代化法(FIRRMA)に基づく投資規制等がしばしば問題になると高宮弁護士。
「こうした投資規制が問題になる場面では、当然通商法だけでなくM&Aの知識が必要になります。また、M&Aの際にサプライチェーンにおける人権上の課題が出てくることもありますが、そうした場合には、長く人権問題に取り組み、人権団体や国際機関の動きも理解した専門家の関与がなければ、表面的な取り組みに終わってしまいます。かけ算のように課題解決に取り組む必要があるのが、現代の通商法分野の特徴ではないでしょうか」(高宮弁護士)。
梅津弁護士は通商法分野について「もはやリーガルアドバイスの範疇を超えている」と説明する。
「一つの問題に複数の法域の法規制が関わっており、すべての国の違反リスクをゼロにはできないことがアドバイスの前提になる場面が増えています。登場する当事者も政府、企業、サプライチェーン、NGO、NPO、一般消費者など、単なる法令遵守にとどまらない幅広い活動を行っている人々も含まれています。その中で各国の法律を見つつ、日本企業がとるべき道をガイドする役割が求められています。むしろ、それができなければ日本の弁護士が関わる意味がなく、かゆいところに手が届くアドバイスが必須だと考えています」(梅津弁護士)。
日々変化する規制動向のアップデートに加え情報把握のハブ・司令塔の役割も
経済安全保障や人権関連の規制は、内容が複雑・難解な上に変化のスピードが速いため、「企業にとっても正確な情報のアップデートが大切」と宮岡弁護士。同事務所でも、雑誌への記事掲載や事務所のニュースレター等で逐次情報を発信しているが、常に“企業がいま、何をすべきか”を意識しているという。
「更新される規制の内容を正確に発信することは当然のこととして、当該規制を踏まえて企業がまず足元でどう動くべきか、さらには中長期的にサプライチェーンの見直し、合弁パートナーや投資先の選定といった事業戦略上の観点からも有用なアドバイスをできるよう意識しています」(宮岡弁護士)。
各国の動きや規制を把握するには、現地の専門家との連携が不可欠になる。同事務所も米国・欧州・中国など主要な法域の法律事務所と緊密に連携をとっていると高宮弁護士。
「通商法分野における海外の規制に関するアドバイスには、海外の信頼性が高い事務所から正確な情報を取得することが欠かせません。当事務所は、米国・欧州をはじめとする主要な法域のいずれにおいても、当局元高官を含む通商法分野で最高峰の弁護士を擁する事務所との親密な関係を維持しています。日本企業から海外の法律事務所に直接依頼をする際に適切な事務所を紹介するという関与の仕方ももちろんありますが、通商法分野においては、法務部で経験を有する方が限られていたり、関連する法令が極めてテクニカルであったりすることも多いことから、常時多数の案件を取り扱っている当事務所が情報把握のハブないし司令塔的な役割を引き受けることで、結果としてより効率的かつ迅速な対応が可能になることも多い印象です」(高宮弁護士)。
矛盾する秩序の中で日本企業が変化・対応するための判断と助言を
日夜変化する通商法分野に対し、日本企業の体制にも変化が求められると語るのは石本弁護士。
「例えば、伝統的に輸出管理は専門の輸出管理部門に任されており、法務部門と必ずしも密な連携がなされていない企業も見られました。しかし、各国の規制が複雑化する中、通商法の問題は垣根を取り払って連携する必要があります。企業によっては既に法務部が輸出管理も監督したり、輸出管理部の上部組織として経済安全保障に対応する特別な部署を創設したりするなど対応を進めていますが、こうした流れはさらに加速するでしょう」(石本弁護士)。
国内最大規模の法律事務所として、対応事例を豊富に蓄積できている点も、クライアントに有益なアドバイスを提供できるポイントだという。
「当事務所はもともと渉外法務ではなく国内法務を主とする法律事務所も母体の一つとなっているという歴史的経緯もあり、大企業から中小企業まで幅広い日本企業と関係性を築き、通商法に関しても、規模も種類もさまざまなご相談を受けています。例えば、近時では社内ネットワークに米国の国防権限法の規律対象となる製品を使っている可能性があるがどう対応すべきかという相談を受けることがあるのですが、似たような状況にある他社がどのような対応をしているかという観点から実務的な助言をお伝えできる点は当事務所の強みかと思います」(高宮弁護士)。
「各国法が真っ向から矛盾する場面も増える中、単に情報を集めてくるだけではアドバイスの意味がありません。矛盾する国際的な法秩序の中で日本企業がどう対応するか、どのように日本の会社として役員の善管注意義務を果たしていくべきかをアドバイスできるのは日本の法律事務所だけです」と話すのは梅津弁護士。
同事務所は経済安全保障問題がクローズアップされる以前から、政府の安全保障貿易管理の関連部署に法律事務所として初めて弁護士を出向させ、法の整備と解釈・運用の発展への貢献に務めている。
「判断は非常に難しくはありますが、さまざまな材料を集めるだけでなく、それをどう料理するかまでがサービスの付加価値だということを明確に意識してアドバイスできる事務所でありたいですね」(梅津弁護士)。
石本 茂彦
弁護士
Shigehiko Ishimoto
92年東京大学法学部卒業。94年弁護士登録(第一東京弁護士会)。99年中国対外経済貿易大学国際経済ビジネス実務課程修了。00年ニューヨーク大学ロースクール修了(LL.M.)。01年ニューヨーク州弁護士登録。IPBA APEC委員会議長。日中投資促進機構理事。経産省不公正貿易政策措置調査小委員会委員。
梅津 英明
弁護士
Hideaki Umetsu
03年東京大学法学部卒業。04年弁護士登録(第二東京弁護士会)。06~07年経済産業省経済産業政策局産業組織課出向。09年シカゴ大学ロースクール修了(LL.M.)。10年ニューヨーク州弁護士登録。日本弁護士連合会国際活動・国際戦略に関する協議会委員。国際法曹協会(IBA)アジア大洋州議会共同議長。
高宮 雄介
弁護士
Yusuke Takamiya
05年東京大学法学部卒業。07年東京大学法科大学院修了。08年弁護士登録(第二東京弁護士会)。16年ニューヨーク大学ロースクール修了(LL.M.)。17年ニューヨーク州弁護士登録。17年米国連邦取引委員会勤務。経済産業省経済産業研究所「グローバル化・イノベーションと競争政策プロジェクト」メンバー。
宮岡 邦生
弁護士
Kunio Miyaoka
04年東京大学工学部卒業。07年東京大学法科大学院修了。08年弁護士登録(第二東京弁護士会)。13年米国コロンビア大学ロースクール卒業(LL.M.)。14年ニューヨーク州弁護士登録。14~16年経済産業省通商政策局通商機構部参事官補佐。17~20年WTO上級委員会事務局法務官。日本国際経済法学会会員。
著 者:射手矢好雄・石本茂彦[編集代表]、森・濱田松本法律事務所[翻訳]
出版社:日本国際貿易促進協会
価 格:6,050円(税込)
著 者:澤口実[監修]、内田修平・小林雄介[編著]、
吉田瑞穂・奥田亮輔・千原剛・香川絢奈・荻野績・河西和佳子[著]
出版社:商事法務
価 格:3,740円(税込)
著 者:天羽健介・増田雅史[編著]
出版社:朝日新聞出版
価 格:1,980円(税込)