AIガバナンス制度とローカライズ
渡邊弁護士 日本たばこ産業株式会社(以下「JT」)ではAIガバナンス制度などを構築されていますか。
廣瀬氏 JTでは、AIガバナンスを法務は担当していません。AIツールの管理は、情報流出リスクを踏まえてIT部門が一括して担っています。JTではMicrosoft社のCopilotがデフォルトツールとして提供されており、それ以外は都度申請してIT部門が審査・検証し承認するしくみを採用しています。実際には申請が多く審査に時間がかかるため、現場から不満の声が聞こえてくることもありますが、申請に時間がかかるからといって未承認のものを勝手に使い始めることはできません。
渡邊弁護士 私が支援している企業の中には、リスクレベルで分類し、レベルがそれほど高くないものは一定条件のもとで現場が自走できるようにし、レベルが高い類型のみ検証するしくみを導入しているところもあります(記事「AIガバナンス実践のための見取り図」参照)。JTはそうした“仕分け”は行わず、一律に審査を受けるというスタイルなのですね。現場からの不満も多いのではないかと思いますが、優先的に審査を通す、“ファストトラック”のような制度や、今後変更する必要性などは感じますか。
廣瀬氏 たとえば、何らかの理由で個別に経営層が問題視すれば審査が早く進むようなケースはありうると思いますが、公式に明文化されているわけではないため、ルールとして活用できるものではありません。とはいえ、“現在のやり方では世の中の変化のスピードについていけないのではないか”とは感じています。改善を重ねることで対応を続けるのか、抜本的に見直すのかを含め、その判断は今、基本的にはIT部門に委ねられています。
渡邊弁護士 JTはグローバルに事業を展開されていますが、何らかのしくみやルールを導入する場合に、どのようにローカライズされるのでしょうか。

渡邊 満久 弁護士
廣瀬氏 130を超える国と地域でビジネスをしているJTにとっては、同一のルールを全世界で一律に適用することが必ずしも適切ではないため、ローカライズは不可避です。JTのたばこ事業を例にとると、スイスを本店とする事業会社が世界中に事業展開している形態であり、日本はその一市場に過ぎません。そのため、“日本固有の基準を全世界に展開するグループ企業の全部に適用する”といった発想はとり得ず、各国・各地域の法規制に準拠しながら“使えるものを使う”のが実態で、親会社だからといってJT本体がすべてのグループ企業を仕切る形が正解だとは思っていません。
“ルール策定よりも先に動く”ことが正解のない局面では効果的
渡邊弁護士 私は、リーガル系の部門やメンバーの方に“制定法やルール的な正解がない問題にももっと積極的に取り組んでほしい”と考えていますが、そのような局面では、どのように対処されることが多いですか。
廣瀬氏 誰かが何かを“やりたい”と言い出したら、その目的・手段・リソース・スケジュール等を丁寧に聞き取ったうえでさまざまな側面から検討します。希望どおりに進められるものであれば進め、それが難しいのであれば“何が問題なのか”を特定して代替策を一緒に考えます。ルールを策定すべく多大な時間をかけて議論している間に外部環境が大幅に変わってしまうことも普通だと思います。AIの活用に限らず、すべての場面で我々が“Operating Guidelines”と呼ぶ、“どこの誰がどこまでの責任と権限を持つのか”を定めた決裁権限規定からの逸脱は許されませんが、基本的には現場に委ね、うまくいったものはその検証や改善を続ける一方、うまくいかなかったものは早急に撤回して再検討する。JTとはそういう会社だと思っています。AIの活用についても、たとえば契約書の形式的なレビューの際など、作業効率を大幅に向上させるツールなら積極的に使えばよいと思いますが、それにより創出された空き時間は、それまで時間がなくて手をつけられなかったことや、人との対話に充てるというのが当然だと考えています。
渡邊弁護士 リーガル系の部門が現業部門と広く連携するには、精神的・物理的な余裕が不可欠だと思います。組織運営ではどのような点を心がけていますか。
廣瀬氏 精神的にも物理的にも余裕がなければ、得てして人への当たりが強くなり、“何でも気軽に相談しよう”と誰からも思ってもらえる存在にはなり得ませんし、そんな状態ではよい仕事はできません。そのため、仮に自身が“忙しすぎる”と感じるならば、その忙しさの原因が業務量にあるのか、自身の知識や経験の不足や、業務効率の悪さ、たとえば自らのこだわりの強さによる時間のかけすぎによるものなのかを見極める必要があります。その結果、単に業務量が多すぎるのが問題であればAI活用で大部分は解決できるのではないでしょうか。そういう意味で、組織運営で心がけることとしては、“自分たちの組織の課題が何なのか”を正しく見極め、適切な解決策を考え、それを組織内で共有し理解してもらい実行していくこと、そして、そのためには瞬間的な反発や居心地の悪さに臆すことなく、またブレることなく自組織のメンバーとしっかり対峙することだと思います。

廣瀬 修 氏
法務はアレンジャーであれ 専門性への固執から脱却を
渡邊弁護士 “法務がそこまでやるべきではない”という意見は世の中に相当数あります。廣瀬さんが統括する組織でもそうした考えの方はいると思いますが、チームの組成はどのようにされていますか。
廣瀬氏 “法務部門がどこまでやるべきか、やるのが適切なのか”に唯一絶対の正解はないと思いますし、この点についての考え方もその理由も異なるさまざまなメンバーがいます。ただ、私自身は“ひたすら法務の専門性を効率よく磨いてキャリアアップしたい”という声に応えようとはしていません。「仕事ばかりしていてはよい仕事はできないし、法務のことばかり考えているとよい法務仕事はできないよ」と常に声をかけて、一人ひとりの仕事の幅や人間的魅力を少しでも広げてもらいたいと思っています。
渡邊弁護士 これからのリーガル人材が扱う課題には、法解釈や適用だけで足りるものから、社会や自社のあり方との関係で自ら価値判断するものまで幅があります。これまでの法務は前者に寄りすぎていたように思います。法律の解釈技術は必要ですが、それだけでは本当に必要な判断を支えられない。“何が社会との関係で適切か”“自社をこれからどうしていくために、何を捨て何を取るのか”を自ら問い、答えを出せる自律的な人材が求められていると感じていますが、企業の現場でもこの感覚をお持ちですか。
廣瀬氏 もちろんです。単に法律に詳しいだけの人材ならわざわざ社内に置いておく必要はありません。高度な専門性は外部弁護士やAIに頼ればよいのです。
社内法務の意義は、一言でいえば“ワンストップのコンシェルジュ機能”にあります。自社の事業を知り尽くした法務部員が本質的な課題を正しく設定し、“わかっていること”と“わかっていないこと”をきちんと区別して、“何をどういう理由でどれくらいの費用をかけてどの専門家に求めるべきか”を判断し説明し合意を取り付けて組織として迅速に行動するように持っていく。そういう仕事の仕方をしなければ、法務部門の価値は認めてもらえないと感じています。会社がやろうとしていることが適法であり合法であることは当たり前で、そのうえで“社会的に適切か”“同じ目的を達成するにしてもよりよい代替案はないか”など、正しい課題を設定し、必要なリソースを適切な場所から集めてチームを組む“アレンジャー”でありたいものです。
渡邊 満久
principledrive株式会社/法律事務所 代表取締役・弁護士
Mitsuhisa Watanabe
08年京都大学法学部卒業。11年京都大学大学院法学研究科法曹養成専攻修了。12年弁護士登録(第一東京弁護士会)。13年~都内法律事務所、村田・若槻法律事務所、PwC弁護士法人、AsiaWise法律事務所パートナーを経て、23年principledrive株式会社/法律事務所設立。
廣瀬 修
日本たばこ産業株式会社 執行役員 General Counsel 兼 法務コンプライアンス担当
Osamu Hirose
92年東京大学法学部卒業、日本たばこ産業株式会社入社。97年ワシントン大学経営大学院修了。関東営業本部、人事部、食品事業部、法務部、医薬事業部に所属し、スイスや米国の駐在を経て14年法務部長。20年1月~現職。