取適法改正の背景と公取委の執行体制強化
2026年1月に「中小受託取引適正化法」(以下「取適法」)が施行された。同法は下請法を改正したもので、基本的な考え方は下請法を継承している。一方、資本金額だけではなく従業員数を基準として適用対象が拡大されたほか、違反行為類型が追加されるなど、執行力が大幅に高まったのが特徴である。長島・大野・常松法律事務所の独禁法・競争法チームにも、取適法対応をはじめとする体制整備の相談が多く寄せられる。
執行体制の動向について、2008年から2026年までの17年にわたり公正取引委員会(以下「公取委」)事務総局に在籍し、管理職として上席企業結合調査官、上席審査専門官(デジタルプラットフォーマー担当)および訟務官を務めた中島菜子弁護士は次のように説明する。
「公取委が非常にこの分野に力を入れていることは明らかです。2026年1月に公取委は今後の施策に関するステートメント(「イノベーションの促進に向けた競争政策の積極的展開」)を公表し、そこで掲げられた具体的施策の3本柱の筆頭に“取引適正化”が明記されました。前回の2022年のステートメント(「デジタル化等社会経済の変化に対応した競争政策の積極的な推進に向けて」)がデジタル分野を重視していたことと対照的であり、公取委の姿勢を端的に示しています。予算・組織面でも変化は顕著であり、2026年度予算では“取引適正化検査管理官”という課長級ポストが新設され、取適法とフリーランス法(「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」)の執行を一元的に担う体制が整備されました。また、室長級は、既存の3ポストの振替えと1ポストの新設により、4名の上席取引適正化検査官という体制に拡充されています。執行実績についても2025年度の下請法勧告件数は39件と大幅に増加しており、2026年度以降はさらなる増加が見込まれます」(中島弁護士)。

中島 菜子 弁護士
多数の企業結合審査対応や業務提携対応をはじめ、不公正な取引方法の事件対応、国内・国際カルテル談合事件対応など、独禁法関連の案件を広く取り扱う井本吉俊弁護士は、公取委の地方事務所の体制が強化されている点にも着目すべきだと指摘する。
「地方事務所が執行する案件が顕著に増加しています。自動車産業が集積する中部事務所をはじめ、近畿、九州といった地方事務所でも“取引適正化管理官”が新設されたほか、任期付職員の採用を進めるなど、執行体制の強化が図られました。案件の摘発が東京本局にとどまらず全国的に広がっているため、今後ますます業種・地域を問わず調査対象となりうると考えるべきでしょう」(井本弁護士)。
調査対象の拡大の動きと無償業務の見直しの必要性
こうした体制強化に伴い、調査の対象も拡大している。従来、無償保管が問題となるのは基本的に“金型等”であったが、2026年3月の矢崎部品株式会社に対する勧告では、金型等とは別に製品サンプルや品質記録帳票を無償保管させたことなどが“不当な経済上の利益の提供要請”にあたるとされた。
「勧告では、“製品サンプルの長期の無償保管”や“品質記録の電子帳票データの無償保管”といった行為も問題とされました。金型等は大変かさばり、中小受託事業者の製造現場の動線や安全性を阻害し、また、保管に費用と手間がかかるものですが、電子帳票データをCD-ROM等に記録して保管する行為は、製造現場の動線を阻害するわけでも、保管料コストを生じさせるわけでもありません。“無償保管”というだけで金型等と同列に一律に違法とする扱いであれば疑問が残ります」(井本弁護士)。
井本弁護士は、今後は“金型等の保管”という個別作業を超えて、これまで委託業務において“必要な費用はすべて含まれている”という認識で無償提供されていた業務について、発注方法を見直す必要があると説明する。実務上の第一歩は、取適法に基づく委託業務に付随して無償提供させている業務・役務の有無や根拠を洗い出すことだが、大企業の取引規模となればこの作業は容易ではない。調達部門は個々の現場業務の実態を把握しているとは限らないからだ。
「たとえば、“工場への納品時に、トラックの横付箇所から納品対象物の保管場所まで数十メートルの運搬を無償でさせている”といった慣行は、調達部門からは見えにくいものです。法務部門が事業部門と連携し、現場レベルで無償業務の実態を洗い出していく必要があります」(井本弁護士)。
一方で、当該保管行為がサプライヤーである中小受託事業者自身にとっても直接の利益となる場合もある。2017年から2019年まで公取委での勤務経験を有するとともに、弁護士として多数の企業結合審査対応、独禁法・取適法違反被疑事件対応等を行う伊藤伸明弁護士は、次のように説明する。
「無償保管への基本的な対応方針は、適切な対価設定を行うことに変わりはありませんが、中小受託事業者の利益に資する行為については、個別の事情を踏まえた検討の余地があります。たとえば、製造物責任法(PL法)対応や品質トレーサビリティの観点から保管について一定の必要性が認められる場合には、保管は中小受託事業者にとって直接の利益となる行為であり、かつ中小受託事業者自身も積極的に取り組んでいるという事実関係が認められれば、“不当な経済上の利益の提供要請”には該当しないと解する余地もあると思われます」(伊藤弁護士)。
ただし、事実関係次第で判断は分かれるものの、基本路線としては何らかの対価を設定するほうが安全だと伊藤弁護士は説明する。加えて、中小受託事業者側の変化も委託事業者側の対応に影響を与えており、原材料・資材のコスト上昇、取適法改正などを背景に、中小受託事業者にとって従来は言い出しにくかった無償提供作業への対価を求める声が確実に増えている。
「中小受託事業者側から“これは取適法違反ではないか”という指摘は実際に上がり始めており、それを契機として従来は見過ごされていた無償業務が明るみに出るケースが増えています。声を上げることへの心理的障壁は依然として残るものの、そうした動きがあることは認識しておくべきでしょう」(井本弁護士)。

井本 吉俊 弁護士
勧告事例をめぐる評価を調査の備えにどう活かすか
公取委が2026年3月に株式会社松尾製作所に対して行った勧告でも、専門家の間で評価は分かれている。同社は委託先に製品の製造を委託する際、一部の材料を有償支給していたが、その材料の原価が上昇したため、有償支給の材料につき遡及的なものも含めた値上げを実施した。公取委はこれを“不当な経済上の利益の提供要請”として問題視した。
「松尾製作所のプレスリリースによれば、有償支給分の材料の値上げと同時に、中小受託事業者から製品を買い取る価格も引き上げたとのことです。そうであればプラスマイナスゼロになるはずで、中小受託事業者が追加の負担を強いられたわけではありません。本当に問題視すべき事案であったのか、やや疑問が残ります」(伊藤弁護士)。
井本弁護士も「公表情報だけでは事実関係の把握に限界がある」と断ったうえで、以下のように補足する。
「実質的な加工委託費用だけを見れば、“何も変えていない”ともいえます。有償支給で一旦材料を売り、それを加工してもらって製品として買い戻す形態であり、加工委託料自体に搾取があったわけでもないとすると、有償支給材料の値上げだけを捉えて“不当な経済上の利益の提供要請”として勧告するという手段が用いられたことには違和感があります」(井本弁護士)。
企業にとってより深刻なのは、勧告が持つ法的性格である。井本弁護士は、勧告は裁判で争うことができず、“不当な経済上の利益の提供要請”の事案では、委託事業者は通常は中小受託事業者への金銭的返還も求められるため、委託事業者側は金銭的にも無傷では済まないと指摘する。
「端緒をつかんだ時点で広めに対処し、公取委が来る前に“是正済みである”といえる体制を整えておくことが、事後的な対応よりもはるかに有効です。公取委は取適法について、事実関係の個別事情をあまり斟酌しない運用をするため、類似の取引を続けている企業はその妥当性を改めて検証する必要があります」(井本弁護士)。
公取委による調査の進め方についても確認が必要だ。取適法の調査は通常、はじめから個別事件を調査するわけではなく、まず“アンケート”という形で委託事業者・中小受託事業者双方に対して実態調査を行う。井本弁護士は、取適法ではこうした機会を通じて改正法の内容や最新の摘発トレンドを踏まえた社内の見直しを進めることが重要だと述べる。
「“取適法元年”ともいえる現在、アンケートを受け取った際にどう対応するか、今から社内の対応フローを見直しておくことが必要です」(井本弁護士)。
事前対応のグッドプラクティスは研修と中小受託事業者との対話
事前対応のグッドプラクティスとして井本弁護士・伊藤弁護士が挙げるのは、社内研修とサプライヤーとの対話の場の設置である。
「法務部主導で改正前の段階で社内研修を実施し、営業・調達部門では気づきにくい問題点を事前に共有したうえで、質疑応答を通じて解消していく。また、改正後にもフォローアップするというケースがありました」(伊藤弁護士)。

伊藤 伸明 弁護士
井本弁護士も、委託事業者・中小受託事業者双方を招いた大規模な講演会で法改正の趣旨を解説し、その後も継続的な質疑が生まれた現場を目にした経験を振り返る。
「委託側も受託側も対話の機会を持つことが、その後の実務の変化につながりました。中小受託事業者側が空気を読んで自ら不利な条件を設定してしまうケースがあるため、対話の機会を設けて相互理解を深めなければ、法の趣旨は現場に浸透しません」(井本弁護士)。
対応の進捗については、2024年に施行されたフリーランス法への対応も並行しており、企業間でばらつきが大きいのが実情だという。現場の負担は大きいが、今は手をかけて現場の運用を見直すべきだと井本弁護士は語る。
「公取委は水が漏れないようパッチワーク的だった規制の穴を塞ぎ、規制の網を着実に広げています。逃げ切れる余地は狭まっており、今は取引全体を見直す時期といえます。個別の法令への対応を重ねるだけでなく、契約・請求書・社内ルールを一体として整備し直すことが、現時点での実務上の課題といえるでしょう」(井本弁護士)。
製造委託等支払告示の新設へ 実務へのインパクト大
現在、公取委は「特定荷主が物品の運送又は保管を委託する場合の特定の不公正な取引方法」(物流特殊指定)の改正、「製造委託等に係る代金の支払に関する特定の不公正な取引方法」(製造委託等支払告示)の新設、および「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」(優越ガイドライン)の改正を相次いで公表し、規制の網をさらに広げようとしている。物流特殊指定の改正では、新たに“着荷主規制”が導入される見込みであり、荷主側の責任がより厳格に問われることになる。
中でも、2027年4月からの施行として新たに設けられた製造委託等支払告示は、実務への影響が極めて大きいにもかかわらず、その認知度は依然として低いという。
「告示案は2026年3月中旬にさほど目立たない形で公表されたため、情報に敏感な一部の関係者にしか届いておらず、“知らなかった”と驚かれる企業は今なおあります。内容が難解なうえ、広く周知されないまま時間が経過していますが、その影響力は計り知れません」(井本弁護士)。
同告示の核心は、支払期日の規制にある。取適法は資本金や従業員数といった企業の規模によって適用対象が決まるが、同告示では、取適法の製造委託等の概念を借用しつつ、規模にかかわらず取引上の地位が委託者より劣っていないと認められる受託者以外の受託者との製造委託等の取引全般に規制をかけるものだ。取適法の対象外であった製造委託等についても、原則として支払期日を“60日以内”とすることが求められるようになる。
「上場企業同士の製造委託等の取引であっても、一方が取引上劣位にある場合には、60日規制が適用されることになります。これにより、取適法の枠外として運用してきた多くの取引において、支払サイトの短縮を迫られることになります。キャッシュフローへの影響が相当大きいため、法務部門だけでなく、財務部門を巻き込んだ早急な検討が必要です」(井本弁護士)。
拡大する公取委の執行力と今後の独禁法・競争法領域
取適法をはじめとする独禁法・競争法領域を取り巻く環境は大きく変化しつつある。
「独禁法自体の適用対象は、本来は事業分野や事業者のサイズによって違いがあるものではなく、日本国内で事業を行っていればあらゆる事業者に遍く適用されるものです。そうした意味では適用対象自体は元々広かったのですが、公取委の執行強化や、取適法、フリーランス法といった新しい分野への積極的な取り組みによって、社会へのインパクトが一段と大きくなってきた側面があると考えています」(中島弁護士)。
こうした広範な案件をカバーする公取委の執行力を支えているのは、他の官庁には類を見ない急激な組織の拡大だ。
「公取委の定員は現在1,000人規模に達しており、この約30年間で倍増しています。この人員増は日本の官庁の中でも際立っており、公取委が社会構造を変革していくべき重要な存在として注目されていることの証左といえます。人員の拡充は単なる数字にとどまらず、質の面でも強化が進んでおり、採用にあたっても、任期付きの弁護士や、デジタル分野であればその道の専門家など、柔軟な枠組みで専門人材を確保しようと努力しており、公取委の強化の方向性がはっきりと見て取れます。企業側も利用可能な制度をうまく活用したり、規制に対応したりといった取り組みを、これまで以上にしっかりと行わなければなりません」(中島弁護士)。
弁護士側のサポート体制についても、分野横断的な連携が求められている。複合的な課題に応えるには、高い専門性と実務感覚の両立が不可欠だ。独禁法・競争法分野は実務の変化が極めて速く、ビジネスの実態に即した実効性・実現可能性のある解決策と、それを導く創意工夫が問われる。同事務所では、複数の公取委出向経験者やOBが審査実務に精通したチームを構成し、幅広い産業・ビジネスについて国内外を問わずアドバイスを提供してきた。
また、クライアントの事業活動の国際化に伴い、海外の競争法弁護士との強固なネットワークと豊富な協働経験を有し、グローバルな視点からのリーガルサービスを提供できる体制を整えている。独禁法・競争法が労働法、知財法、個人情報保護法、金融規制、上場会社規制といった他の法分野やソフトローと交錯する案件、さらにはAIなどの最先端ビジネスへの深い理解を要する案件についても、所内の他分野の専門弁護士と連携する体制を整えているという。
「競争法だけを見ていてもうまくいかない分野が多くあります。フリーランス関連は労働法との交錯がありますし、取適法も民法上の問題との整理が必要な場面があります。他分野の専門家と連携しながら対応することはこれからより一層重要になるでしょう」(井本弁護士)。
読者からの質問(物流特殊指定改正と書面化対応)
中島 菜子
弁護士
Saiko Nakajima
97年慶應義塾大学法学部卒業。99年弁護士登録(第一東京弁護士会。~09年)、長島・大野法律事務所(現 長島・大野・常松法律事務所)入所。04年Columbia Law School修了(LL.M.)。05年The University of Texas School of Law修了(LL.M.)。05年Pillsbury Winthrop Shaw Pittman LLP勤務。08~26年公正取引委員会事務総局(上席企業結合調査官、上席審査専門官、訟務官等)。26年弁護士再登録(第一東京弁護士会)。
井本 吉俊
弁護士
Yoshitoshi Imoto
01年東京大学法学部卒業。02年弁護士登録(第一東京弁護士会)、長島・大野・常松法律事務所入所。08年Harvard Law School修了(LL.M.)。10年長島・大野・常松法律事務所ニューヨーク・オフィス勤務。12~13年Slaughter and May勤務。19年競争法フォーラム理事。
伊藤 伸明
弁護士
Nobuaki Ito
06年早稲田大学政治経済学部卒業。09年名古屋大学法科大学院修了。10年弁護士登録(第一東京弁護士会)、長島・大野・常松法律事務所入所。16年Columbia Law School修了(LL.M.)。16~17年、19年Ashurst勤務。17~19年公正取引委員会事務総局経済取引局企業結合課勤務。