通報者対応に今一度見直しを 最低水準を超えた体制整備へ
2025年6月4日に成立した改正公益通報者保護法は、企業の内部通報制度に大きな変化をもたらす。従事者指定義務違反に関する行政措置権限の強化および刑事罰の導入、通報妨害行為の禁止規定の創設、公益通報を理由とする解雇・懲戒処分への刑事罰導入など、企業が対応すべき課題は多岐にわたる。実務の最前線では担当者の負担増が深刻化する一方、制度の実効性確保も求められるという難しい局面に直面している。
改正法対応で最も重要なのは、基本的な考え方の転換だ。「企業としては公益通報者保護法に定められた規律だけを守ればよいのではなく、それはあくまで最低水準であることを改めてご理解いただく必要があります」と語るのは、弁護士法人大江橋法律事務所の土屋佑貴弁護士。
「現在に至るまで、公益通報に該当すると判断せずに内部通報を理由とする解雇を無効としたり、内部通報に付随する行為であるとして内部情報の持出行為の違法性が阻却されたりする裁判例が蓄積されています。公益通報に該当しない通報である場合や、企業側が公益通報者保護法の禁止規定や法定指針の定めに明確に違反していない場合でも、その対応如何によって法的な責任が生じる可能性があります。公益通報者保護法はリスク管理体制整備義務として事業者に求められる最低水準を示したものであり、さらには、グローバル企業であれば各国でより高レベルな通報体制整備を求められることも踏まえた運用のアップデートが必須です」(土屋弁護士)。
改正法案により新たな課題も生じうると指摘するのは大多和樹弁護士。
「通報の妨害行為を禁止する規定が新設されましたが、企業が従業員との間で結ぶ守秘義務を伴う合意が通報妨害だとみなされる可能性があります。そのため、従業員との紛争を解決する際に合意する守秘義務条項や、今まで会社の秘密を守るために合理的だと考えられていた社内規程についても、通報妨害の観点からの新たな考慮が必要になりますが、何が通報妨害に該当するのか明確でない部分がありますので、通報妨害の禁止規定が盛り込まれた趣旨を踏まえつつ、事案に応じて慎重に対応していく必要があります」(大多和弁護士)。
改正公益通報者保護法は、総じて事業者が公益通報に適切に対応するための体制整備の徹底と実効性の向上を志向しており、当然事業者の負担も増していくことが見込まれるが、そうした中で従来から挙げられている悩ましいポイントは、調査の範囲と深度の判断だ。
「調査は実施しようと思えばどこまでも深く広く行えますが、限られたリソースと時間の中で、常に事案ごとに深度と範囲の判断が必要であり、マニュアルで画一的に書き分けられるものではありません。窓口部門には内部で対応する事案と弁護士等に対応を依頼する事案とを的確に選別していく判断力も必要になります。こうした判断力を培うには、ケーススタディを活用し、匿名性を確保したうえで対応事例を共有し、“別の判断もあり得たのではないか”というディスカッションを行うなどの検証体制を構築していくことも有効です」(大多和弁護士)。

大多和 樹 弁護士
対応標準化と中立な調査を目指す 窓口対応者の処遇にも課題
企業にとって最も重要なポイントは、外部への通報に至らないうちに自浄作用を働かせる体制・社内風土づくりだという。
「2022年6月に施行された改正法で2号通報、3号通報の保護要件が緩和されました。さらに、今回の改正では、通報妨害の禁止が明記され、マスコミや行政機関への通報を禁止する行為が無効となります。最近は地方自治体や警察署における内部告発(外部通報)をめぐるやり取りも問題となりました。内部告発がなされた場合のレピュテーションリスクの甚大さに鑑みると、外部への通報まで至らないように、事業者内部において自浄作用を発揮するための、通報者が納得できるしっかりとした窓口対応が重要です」(土屋弁護士)。
対応の標準化も欠かせない取り組みだ。
「通報窓口から調査、処分までの内部通報体制のフローを図示し、担当者が変わっても引き継ぎが可能な体制を作ることも一案です。また、聞くべき事項をヒアリングシートとして項目化し、5W1Hなど必要な情報をフォーマット化すると、初動の漏れを防ぎ、対応方針のブレを最小限に抑えることができます」(土屋弁護士)。
企業や担当者に対する刑事罰が導入されたことにより、通報窓口担当者の処遇も課題となっている。
「実務の現場では、罰則を受ける可能性がある役職を敬遠する声が聞かれます。これは人事政策の問題であり、優秀な人材にきちんと対応してもらう意味でも、罰則のリスクと見合った処遇で対応することは当然の選択肢です」(土屋弁護士)。

土屋 佑貴 弁護士
また、経営層に関わる通報事案に備えて中立的な調査を行える体制を作ることも求められるという。
「経営者不正など、経営にクリティカルな問題であればあるほど内部通報制度の果たす役割が大きくなりますが、こうした場合は経営者が告発を潰しにかかる事例も散見されます。監査役や社外取締役が指揮をとって調査するしくみをあらかじめ社内規程で定めておくことが有効です」(大多和弁護士)。
読者からの質問(通報窓口業務を外部委託するメリット)
さらに、リスクが軽微な事案は社内で対応し、重大なリスクとなる可能性があるものは外部委託するという使い分けが可能です。この業務の切り分け過程は自社のリスク分析プロセスを必ず伴うため、公益通報対応だけでなく、会社全体のリスクマネジメントの感度が高まるという副次効果も期待できます。
内部通報は企業の不祥事防止の最後の砦です。本来は通報を待たずに会社組織の内部で自浄作用が発揮され、不正を防止する、発見次第対処する体制を作ることが重要です。公益通報者保護法の改正対応のために、既存の不祥事防止態勢のためのリソースを削ることは本末転倒です。外部委託を活用しながらも、日常的な不祥事防止態勢の充実を図ることが企業の健全な運営には不可欠です。

大多和 樹
弁護士
Tatsuki Otawa
06年一橋大学法学部卒業。09年早稲田大学大学院法務研究科修了。10年弁護士登録(第二東京弁護士会)、大江橋法律事務所入所。20年9月~22年6月証券取引等監視委員会事務局証券検査課勤務(専門検査官)。金融庁総合政策局リスク分析総括課金融証券検査官併任、同局マネーローンダリング・テロ資金供与対策企画室併任。主な取扱分野は危機管理・コンプライアンス、金融規制。

土屋 佑貴
弁護士
Yuki Tsuchiya
10年慶應義塾大学法学部卒業。12年慶應義塾大学法科大学院修了。13年弁護士登録(第二東京弁護士会)。14~19年牛島総合法律事務所勤務。19年大江橋法律事務所入所。東京三弁護士会公益通報者保護協議会委員。主な取扱分野は内部通報、危機管理・コンプライアンス、会社法・コーポレート・ガバナンス、M&A等。