人材が流動化する中で増加するハラスメント相談
労働法を主たるプラクティスとする10名を超えるパートナーとアソシエイトがチームとなって国内外の企業の労務案件に助言を行う長島・大野・常松法律事務所。日常的な人事労務相談、労働関係訴訟・仮処分・労働審判対応に加えて、ハラスメントに関する調査とその事後対応、労働当局による調査への対応支援、労働組合との団体交渉、M&Aにおける労務デューデリジェンスやM&Aに伴う労働契約の承継などの助言・対応など、労務分野に幅広いサポートを実施している。もちろん、外資系企業に対する英語対応も可能である。
清水美彩惠弁護士は、近年の労務分野のトピックとして“人材の流動化”に伴う対応があると語る。
「転職が一般的になったことから、“競業避止義務や秘密保持義務の規定を見直したい”というご相談は増えています。社内で機密情報にも接してきた高いポジションにあった方が競合他社に転職することになり、“対応できる手立てはないか”といったご相談も少なくありません」(清水弁護士)。
“人材の流動化”といった社会環境の変化が、企業内でハラスメント相談が増える後押しとなっている側面もある。また、令和元(2019)年の労働施策総合推進法(「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」)の改正により、大企業には令和2(2020)年から、中小企業には令和4(2022)年からパワーハラスメント防止措置義務が課された。こうしたことも相談数の増加に拍車をかけているという。
「労働施策総合推進法の改正によって、企業にパワーハラスメント(以下「パワハラ」)の防止措置義務が課され、企業内に相談窓口が設置されるようになったことなどにより、ハラスメントの申告数は増えています。また、一つの企業で定年まで勤め上げることが一般的だった時代と比較して、雇用が流動化して転職が増えたことにより、自身の就業環境に不満がある場合に声を上げやすくなったという面もあると思います」(清水弁護士)。
ハラスメントの有無は定義に沿って的確な見極めを
ハラスメントの相談や申告を受けた企業の担当者にとって悩ましい点が、“相談内容がハラスメントに当てはまるか否か”だ。「“労働者側が不快に感じればすべてがハラスメントになる”というものではありません」と緒方絵里子弁護士は説明する。
「以前から、職務上必要な指導を行ったに過ぎない場合にも“パワハラである”という申告をされることはありましたが、近年はより軽微な内容でもハラスメント相談や通報につながる場合が増えています。“ハラスメント”という言葉の浸透、“ハラスメントはいけない”というコンプライアンス意識の高まりから、明らかなハラスメントは少なくなっています。このため、暴言や人格否定などのわかりやすい事象ではなく、気を配りすぎた結果としての言葉の不足や会話の減少、注意指導などがきっかけとなったパワハラのご相談も増えてきました」(緒方弁護士)。
これらがパワハラに該当するかについては、労働施策総合推進法30条の2第1項の定義に沿って判断される。
「“パワハラ”は職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるもの、と定義されています。労働施策総合推進法にハラスメント自体を禁止する条項はなく、事業者のハラスメント防止措置義務は抽象的な公法上の義務です。このため、ハラスメントに該当する行為がただちに不法行為となるわけではありません。ただし、この定義が社内で改善措置を講じるか否かの判断基準となります」(緒方弁護士)。
定義に基づいた判断のポイントとなるのは“②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものであるか否か”であると緒方弁護士は語る。
「セクシャルハラスメント(以下「セクハラ」)であれば、対象となる性的な言動が“業務上必要”なものであるということは基本的に想定されません。一方で、“パワハラ”と指摘されやすい指導は、“必要かつ相当なもの”であれば業務上必要です。部下に問題行為がある、もしくは問題行為とまではいかないものの改善すべき点がある場合は、上司として注意指導を行う必要があります。労働者がこの必要かつ相当な指導を受けて不快と感じたとしてもパワハラにはなりません。裁判例でも“違法なハラスメントとはいえない”と判断され、労働者側の請求が否定されたケースは相当数あります」(緒方弁護士)。
パワハラグレーゾーン案件の判断の手順とハラスメントを避ける着眼点
パワハラについては、業務に関する注意指導について“パワハラだ”という申告、相談がなされることも多い。暴力や脅迫行為など、明らかに問題がある場合は判断が容易だが、業務に関する注意指導のための言動については、“どのような文脈でなされた言動なのか”や“被害者として申告した従業員の側に注意指導を受けるべき理由があったか”等も関連するため、当該言動が“②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものとまでいえるのか否か”の判断が困難な、いわゆる“グレーゾーン事例”が多いという。
「ハラスメントのご相談があった場合、被害者であると主張する方、加害者とされる方の言い分をそれぞれ聞いたり、メールなどの客観的証拠を確認したりして事実関係を確認する必要があります。加えて、必要に応じ、職場の同僚の方にもヒアリングを行うなどして、主張された事実の有無を確認したうえで、それがハラスメントに該当するか否かを判断するというプロセスを踏みます。グレーゾーンの事案では、まずは被害者の状況について、“身体的、精神的な被害の程度はどうか”“注意指導を受ける必要性のある状況であったか”“注意指導が被害者に対してのみ向けられたものであったか”などを確認します。加えて、行為者の目的や動機について、“当該言動を行った背景、目的は業務上の注意指導か否か”“勘違いや誤解に基づくものではないか”などを確認します。そのうえで該当する言動の内容、態様、頻度(継続性)を考慮して判断しています。従業員側がミスをしていたり、勤務成績が悪かったり、問題行動がある場合には注意指導の必要性が当然認められますし、さらに従業員側の問題が大きく注意指導の必要性が高い場合は、強めの指導も認められることが多いと思います」(清水弁護士)。
ハラスメントに該当する場合は、行為者に対して注意指導や懲戒処分等を実施することになる。ところが、ハラスメントとまではいえないような事案であるにもかかわらず、被害者側の話を鵜呑みにして“ハラスメントである”と認定して懲戒処分を実施した場合は、今度は、行為者側から“不当な懲戒処分である”と申立てを受ける可能性もあるため、ハラスメント該当性の判断や、行為者に対してどのような懲戒処分を選択するのかといった判断は慎重に行う必要があるという。判断に迷うケースでは弁護士等に相談し、助言を受けることも検討した方がよいであろう。結果的に、ハラスメントに該当すると判断されないような事案であっても、被害者からハラスメントの相談・申告があれば、企業は事案に応じた調査・対応を求められる。その意味では、性的言動を行わない、注意指導を行う際にも一定の配慮をするなど、ハラスメントと申告される可能性を低減させるような意識をもつことが望ましいという。
「パワハラについては、“どのような文脈での発言か”ということは考慮されるものの、一般的には、人格を否定するような発言や退職の強要や解雇を示唆する発言、人の面前での指導、長時間の叱責などは“ハラスメントである”というクレームを受けやすく、また、パワハラと認定される可能性が比較的高まる傾向にあるため、上司は部下に注意指導を行う場合には、“どこをどのように改善すべきか”をできる限り具体的に指導するよう心がけるとよいでしょう」(清水弁護士)。
精神疾患を伴う場合には安全配慮義務にも注意を
ハラスメント案件の対応において、ハラスメントの有無とは別に配慮が必要な点として、被害者とされる労働者のメンタルヘルスの問題が挙げられる。ハラスメントを訴える従業員が“適応障害やうつ病に罹患した”と主張するケースは多く、精神障害に基づく労災請求事案も年々増加している。
細川智史弁護士は「パワハラに関してのご相談は、パワハラの6類型である“身体的攻撃”“精神的攻撃”“人間関係からの切り離し”“過大な要求”“過小な要求”“個の侵害”のうち、“精神的攻撃”に関するご相談が比較的多い状況です。精神障害を発症しているケースでは、たとえば、上司から部下への注意指導・叱責がパワハラであるとして、それをきっかけに精神障害を発症したと主張されるケースが多くあります。このような事案では、“指導や叱責があった後に精神障害を発症していればただちに労災や安全配慮義務違反が認められるわけではない”という点に注意が必要です。たとえば、先程述べたとおり、指導などが業務上必要かつ相当な範囲を超えたものでなければそもそもパワハラではありませんし、パワハラに該当しない程度の指導にとどまる場合には基本的に安全配慮義務違反は認められにくいと思われます」と語る。
ただし、相談・申告の対象となる行為がハラスメントに該当しない場合であっても、労働者が体調不良を訴える場合には、上司や企業は事案に応じた適切な対応を行うことが望ましいと、細川弁護士は続ける。
変わらず一定数存在するも事実認定が難しいセクハラ
ハラスメントの概念が世に浸透し、オフィス内でのあからさまな性的な言動が行われることは少なくなった。しかし、セクハラに関する相談や申告は根強く一定数が存在するという。
「セクハラは職場において行われる性的な言動により労働者が労働条件について不利益を受けたり、就業環境が害されたりする行為を指します。2種類の類型があり、一つは“対価型”で、職場において、労働者の意に反する性的な言動が行われ、労働者がそれを拒否したことにより、解雇、降格、減給などの労働条件に関する不利益を受けることです。もう一つは“環境型”で、職場において労働者の意に反する性的な言動が行われ、労働者の就業環境が不快なものとなったため、労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じることです。ご相談が多いのは後者の環境型で、被害者が不快に感じているものの加害者とされる側はそのような意識はなく、むしろ好意から発した行動というケースが代表的ですね」(緒方弁護士)。
近年は衆目の前で性的な言動がとられることは稀で、被害者と加害者が一対一になる場面での言動がセクハラとして問題になることが多い。このため物的な証拠や第三者の目撃がないことが多く、双方の言い分が食い違う場合には性的な言動の有無についての事実認定が難しいという。
「上司や先輩による部下へのセクハラ行為に関するご相談や申告の中には、被害者がはっきり拒否をしていない場合を含め、同意の有無について物的な証拠等が何もないケースが少なからずあり、事実の判断に困難が生じる場合があります。かといって物的証拠や第三者の目撃もないことだけを理由に安易に“セクハラの事実はない”と判断することも適切ではないため、判断が難しい場合は弁護士などの専門性をもった者への相談を検討した方がよいでしょう」(細川弁護士)。
セクハラの認定は“職場における言動といえるか”“相手の意に反する性的な言動であったか”という判断が問題になる場合もある。
「“職場か否か”については、加害者とされる側が恋愛感情を抱いた職場の同僚や部下などと業務終了後や週末に食事などに行ったような場面で問題となり得ます。また、“相手の意に反するか否か”という点については、個々人によって感じ方は異なりますが、事後的に申告者が“意に反していた”と言えば、“相手の意に反するものだ”とただちに認定されるものではなく、客観的な事情などを踏まえて判断されます。パワハラにおける注意指導とは異なり、セクハラについては、日常的な企業活動において、性的な言動が業務上必要となることは基本的に考えにくいため、相手が不快に感じるおそれがある性的な言動は控えるよう意識するとよいでしょう。業務終了後や週末の食事などについても、“セクハラであるという申告を受けることを避ける”という観点からは、飲酒を伴うような場で二人きりにならないように注意することすらありうるでしょう」(清水弁護士)。
出産・育児・介護休業取得者には配慮が“不利益取扱い”と指摘される場合も
政府が男性の育児休業の取得を推奨するなど、子育て支援が広がる中で注意すべきなのが、企業側が“よかれ”と思って行った配慮が“不利益取扱い”として“ハラスメントである”と指摘される可能性があることだ。
「育児のための配慮として、“よかれ”と思って軽易なポジションに配転した場合に、労働者側としては手当などが減ることで賃金が減少し不満をもつことがあります。この場合、“不利益取扱いだ”と訴えられると配転は無効となりかねません。平成26(2014)年の最高裁判決は、妊娠中の軽易業務への転換を契機としてなされた女性労働者の降格措置について、男女雇用機会均等法9条3項の趣旨・目的に照らせば、原則として同項の禁止する取扱いにあたるとしています(最一小判平成26年10月23日・民集68巻8号1270頁)。これを受けて厚生労働省はガイドラインを改訂しています。労働者に不利な影響をもたらす処遇については注意深く対応しなければなりません」(緒方弁護士)。
もちろん、妊娠・出産・育児休業・介護休業を取得した労働者に対する言動や処遇については通常以上に気を配る必要があるが、業務上必要性のある言動を控える必要はない。
「厚生労働省は問題がない言動の例の一つとして、定期的な妊婦健診の日時など、ある程度調整が可能な休業などの時期をずらすことが可能か、労働者の意向を確認する行為を挙げています」(緒方弁護士)。
ハラスメントと認定されない場合に当事者をいかに処遇するか
従業員数が少なく規模が小さい企業の場合は配転が容易でないこともある。
「異動が難しい場合はプロジェクトやチームを分けたり、物理的に席が離れるようにしたり、業務上のコミュニケーションを減らすような配慮を行うことも考えられます」(細川弁護士)。
また、「認定の結果によらず、ハラスメントの相談や申告があったこと自体を企業の環境改善の契機と捉える視点をもてるとよい」と緒方弁護士は語る。
「何かしらのご相談や申告は、その労働者の職場環境に就業しづらい要因があるからこそ発生します。“より深刻な事象が発生することをあらかじめ避ける”という観点から、配置の見直しや研修の導入など、何らかの対策をとることをお勧めします」(緒方弁護士)。
読者からの質問(認定できないハラスメント相談の対応)
ただし、加害者とされる者が上司である場合は、業務上の理由から異動が困難な場合も少なくありません。ハラスメントの認定がされない場合で、なおかつ加害者とされる上司の異動が困難な場合には、被害者とされる部下とも協議するなどしつつ、部下の方を異動するという対応をとる場合もあります。また、ハラスメントの認定がなされた場合に、加害者に対して懲戒処分などの措置を講じるだけでなく、被害者のメンタルケアを行うことが肝要です。状況次第で、産業医や保健師の面談やメンタルヘルス相談窓口などのメンタルケアへつなげることも重要です(細川弁護士)。
緒方 絵里子
弁護士
Eriko Ogata
03年東京大学法学部卒業。04年弁護士登録(第一東京弁護士会)、長島・大野・常松法律事務所入所。10年デューク大学ロースクール卒業(LL.M.)。11~12年三菱商事株式会社勤務。労働法のアドバイスや労働争訟、紛争解決、危機管理などの業務に携わる。
細川 智史
弁護士
Satoshi Hosokawa
04年早稲田大学法学部卒業。06年弁護士登録(第一東京弁護士会)。06年長島・大野・常松法律事務所入所。12年カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクール卒業(LL.M.)。12~13年Weil, Gotshal & Manges LLP(New York)勤務。労働法のアドバイスや労働争訟、M&A、危機管理、紛争解決などの業務に携わる。
清水 美彩惠
弁護士
Misae Shimizu
05年早稲田大学法学部卒業。07年慶應義塾大学法科大学院修了。08年弁護士登録(第一東京弁護士会)、長島・大野・常松法律事務所入所。15~17年サッポロホールディングス株式会社勤務。18年ワシントン大学ロースクール卒業(LL.M.)。18~19年Weil, Gotshal & Manges LLP(New York)勤務。労働法のアドバイスや労働争訟のほか、危機管理、紛争解決、消費者関連法などの業務に携わる。