はじめに
近年、日本企業が外国企業を買収するクロスボーダーM&Aは増加基調にありこの傾向にはさらに拍車がかかっているため、日本企業においても、買収後の対象会社の運営に関するものを含めて、M&A取引に関連する諸外国の規制に目を向ける必要があります。
今回は、クロスボーダーM&Aにおいて留意すべき規制の中でも、欧州連合(EU)において新たに創設された外国補助金規制注1(FSR:Foreign Subsidies Regulation)の概要について解説したいと思います。
なお、下記において特に記載のない限り、条文番号はFSRにおけるものを指します。
FSRにおける規制の概要
総論
FSRは、欧州委員会(EC)により、「外国補助金」(foreign subsidy)により生じる「EU域内の市場の歪み」に対処することを目的として採択され、2023年1月12日に発効しました注2。
FSRによる主な規制内容は、
・ M&A取引および公共調達手続に関する事前届出義務
・ 欧州委員会による審査
の二つです注3。2023年7月12日以降のM&A取引および公共調達手続が審査の対象となり得(53条3項、4項)、また、同年10月12日からM&A取引および公共調達手続に関する事前届出義務が適用されています(54条4項)。
外国補助金(foreign subsidy)の意義
FSRの規制の下では、事前届出の基準や欧州委員会による審査の対象となる「外国補助金」の意義が重要となります。
FSRにおいて外国補助金とは、EU非加盟国が、直接的または間接的に、EU域内の市場において経済活動に従事する事業者に利益を提供し、法律上または事実上、一つ以上の事業者または産業に提供する資金的貢献のことを意味します(3条1項)。
具体的には、
・ 資金または負債の移転(資本注入、補助金、ローン、債務保証、資金的優遇措置、営業損失の相殺、公的機関による財政負担の補償、債務免除、デット・エクイティ・スワップまたは債務のリスケジュールなど)
・ 本来あるべき収益の見送り(租税免除や十分な報酬を伴わない特別または排他的な権利の付与など)
・ 物品またはサービスの提供または購入
が資金的貢献の例として挙げられています(3条2項)。
FSRの規制は、その拠点の所在地を問わず、EU非加盟国から「外国補助金」を受け取っている限り、EU域内で経済活動を行っているすべての企業が対象となります。また、資金的貢献を受ける主体は、企業グループ単位で判断されます。
このように、外国補助金はその範囲が広く、また、対象となる企業も広範であるため、日本企業がEU域内の市場に関連する事業を行う際にはFSRの規制に留意することが必要です。
EU域内の市場の歪みの判断
FSRにおいては、「EU域内の市場の歪み」を生じさせる外国補助金を規制しているため、何が「EU域内の市場を歪ませるか」という要件を充足するかについても理解しておく必要があります。
FSRの規制の下では、外国補助金がEU域内の市場における事業者の競争上の地位を向上させる可能性があり、かつ、EU域内の市場における競争に実際にまたは潜在的に悪影響を及ぼす場合に、EU域内の市場の歪みが存在するとみなされています(4条1項)。
そして、その歪みは特に、
・ 外国補助金の額注4
・ 外国補助金の性質
・ 関係する市場の状況
・ EU域内の市場における受益者の経済活動の水準および推移
・ 外国補助金の目的および条件注5
という指標に基づいて評価されるものとされています(4条1項)。
また、具体的には、
・ 経営不振の企業に交付される補助金
・ 事業の債務または負債に対する保証額または保証期間の制限のない保証
・ OECD公的輸出信用アレンジメント注6に沿わない金融措置
・ 市場集中(concentration)を直接助長する補助金
・ 事業者が不当に有利な入札を行うことを可能とする補助金
が、EU域内の市場を歪める可能性が高い外国補助金の例として挙げられています(5条)。
M&A取引および公共調達手続に関する事前届出義務
適用対象(a)―M&A取引
(1) 事前届出を要する場合
FSRに基づく事前届出義務の適用対象となるM&A取引は、(ⅰ)合併、(ⅱ)買収または(ⅲ)ジョイント・ベンチャーの設立であり、その中で以下のいずれの要件も満たす場合に、合併の当事者または共同支配権取得の当事者が共同して事前届出をする必要があります(20条3項)注7。
① 合併企業の少なくとも1社、買収対象企業またはジョイント・ベンチャーがEU域内で設立され、EU域内の売上高が5億ユーロ以上の場合
② 当事者である全企業が過去3年間にEU非加盟国から受けた資金的貢献が、合計5000万ユーロを超える場合
例えば、買収において、買主自身がEU非加盟国から資金的貢献を受けていなくとも、買収の対象である会社がEU非加盟国から資金的貢献を受けていれば、そのM&A取引は事前届出の対象となる可能性があります。
適用の範囲については、FSRの施行日である2023年7月12日以降に締結され同年10月12日以降にクロージングが行われるM&A取引が対象となります。
(2) 届出の方法
M&A取引に関する事前届出については、FSR実施規則のAnnex Iの様式(Form FS-CO)に従って、欧州委員会に対して届け出る必要があります注8。なお、届出期限に関する規定はないものの、Ⅳ1.のとおり、届出の受領後に審査期間が存在し、欧州委員会による承認を得られるまでM&A取引のクロージングを行えないため、余裕を持った期間設定をしたうえで、届出を行うことが望ましいです。
事前届出の際には、
① M&A取引の概要(実施予定日、取引価額、資金源等)
② 当事者に関する情報
③ 過去3年間に欧州委員会に届け出た買収等の一覧
④ 過去3年間に、Ⅱ3.に記載したEU域内の市場を歪める可能性が高い外国補助金(100万ユーロ以上)がある場合、その詳細注9
⑤ M&A取引によるEU域内市場への影響(EU域内での売上高、競合企業名等)
などの情報を記載する必要があります。
なお、届出は、EUの公用語のいずれか一つを用いる必要があります。また、添付書類は原文で提出し、その言語がEUの公用語でない場合には、翻訳を添付しなければなりません(FSR実施規則4条)。
適用対象(b)―公共調達手続
(1) 事前届出を要する場合
公共調達手続については、以下のいずれの要件も満たす場合に、事前届出が必要となります(28条1項)。
① EUでの公共調達における当該契約予定額が2億5000万ユーロ以上の場合
② 入札企業が過去3年間に、EU非加盟国から受けた資金的貢献が1か国あたり400万ユーロ以上の場合
適用の範囲については、FSRの施行日である2023年7月12日以降に手続が開始され同年10月12日以降までに締結されていない公共調達手続が対象となります。
(2) 届出の方法
公共調達手続に関する事前届出については、FSR実施規則のAnnex IIの様式(Form FS-PP)に従って、欧州委員会に対して届け出る必要があります(FSR実施規則4条)。
事前届出の際には、
① 公共調達手続の概要
② 届出当事者および主たる下請業者(main subcontractors)に関する情報
③ 過去3年間に、Ⅱ3.に記載したEU域内の市場を歪める可能性が高い外国補助金(100万ユーロ以上)がある場合、その詳細
④ 入札が不当に有利でないことの説明(入札者が提供するサービスの経済性・独創性、環境や労働関連法令の遵守状況等)
などの情報を記載する必要があります。
なお、届出の言語については、Ⅲ1.(2)に記載したM&A取引の場合と同様です。
欧州委員会による審査
審査手続
欧州委員会による審査注10は、
① 予備審査(preliminary review)
② 詳細調査(in-depth investigation)
の2段階で行われ、(ⅰ) 外国補助金の有無および、(ⅱ) EU域内の市場を歪める外国補助金に当たるか否かが審査されます。
欧州委員会は、外国補助金が存在しないか、外国補助金があったとしてもEU域内の市場を歪めるものではないと判断した場合には、通知を受領してから25営業日以内に、取引承認の決定を行います。他方、EU域内の市場を歪める外国補助金であるとする十分な理由がある場合には、詳細調査が開始され、その期間は詳細調査の開始日から90営業日に延長され、さらに延長される可能性もあります(25条2項、4項)。
欧州委員会による承認が得られるまでは、M&A取引をクロージングさせること、また、公共調達手続における入札ができないため、審査に要する期間をあらかじめ理解しておくことも重要です。
審査後の決定および制裁金の支払い
詳細調査の後、欧州委員会は、
① 取引承認の決定
② 是正措置注11の実施を条件とする取引承認の決定
③ 取引等の禁止の決定
のいずれかを行います(25条3項)。
また、事前届出に関連して以下のような行為があった場合には、行為を行った事業者の前会計年度の全世界における総売上高の割合を上限とした制裁金が課される可能性があります。
・ 事前届出を実施しなかった場合、禁止された取引等を実施した場合など:総売上高の10%(26条3項)
・ 事前届出において不正確または誤解を招くような情報を提供した場合:総売上高の1%(26条2項)
実務における対応
M&A取引および公共調達手続に関する事前届出義務の適用が始まったのは2023年10月12日であるものの、少なくとも過去3年間における資金的貢献が調査の対象となる可能性があるため、FSRの規制対象となるクロスボーダーM&A取引などを検討する企業においては補助金の受領状況を整理しておくことが望ましいと考えられます。
また、M&A取引における買主である場合、対象会社が受領した外国補助金もFSRの規制対象となり得るため、M&A実施のためのデューデリジェンスにおいて外国補助金の有無やその規模、目的などを確認する必要があります。
なお、2024年7月に暫定的にガイドラインが発行される予定であり、FSRの規制対象となり得るクロスボーダーM&A取引などを検討する企業においては、今後もFSRの規制に関する動向を注視していくことも重要です。
→この連載を「まとめて読む」
- European Commission. Regulation (EU) 2022/2560 of the European Parliament and of the Council of 14 December 2022 on foreign subsidies distorting the internal market.[↩]
- European Commission. Press release.Foreign Subsidies Regulation: rules to ensure fair and open EU markets enter into force(12 January 2023)[↩]
- 2023年7月10日にFSR実施規則が採択されており、事前届出や審査の手続上のルールなどが規定されています。[↩]
- 過去3年間での外国補助金の総額が400万ユーロを超えない場合、その補助金がEU域内の市場を歪める可能性は低いとされています(4条2項)。[↩]
- 自然災害またはその他の例外的な事象によって生じた損害を補填することを目的とする外国補助金は、EU域内の市場を歪めないものとみなすことができるとされています(4条4項)。[↩]
- 輸出信用の秩序ある利用と公平な競争条件の維持を目的として、参加国(オーストラリア、カナダ、EU、日本、韓国、ニュージーランド、ノルウェー、スイス、トルコ、英国および米国)の間で締結された紳士協定であり、公的輸出信用に関する共通ルールが定められています(OECD「Arrangement on Officially Supported Export Credits」。[↩]
- 欧州委員会は、過去3年間に「外国からの補助金」が当事者に交付された可能性があると疑われる場合、これらの基準以下の取引について事前届出を求めることができます。[↩]
- FSR実施規則では、届出当事者に対して、欧州委員会との間で届出前協議を行うことが推奨されており、一定の情報提供の免除を受けられる可能性も存在しています(Annex I 5。公共調達手続においてはAnnex II 6)。[↩]
- これらの外国補助金以外の資金的貢献については、詳細な報告は不要であり、概要の報告のみで足ります(記載事項はAnnex I Table 1参照)。[↩]
- 欧州委員会は、市場を歪める可能性のある外国からの補助金について、職権により調査を開始することも認められています(9条)。[↩]
- 具体的には、特定の不動産の売却、外国補助金の返済および補助金により取得した資産のライセンスの供与などであり、詳細は7条4項を参照のこと。[↩]
龍野 滋幹
アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業 パートナー弁護士・ニューヨーク州弁護士
2000年東京大学法学部卒業。2002年弁護士登録、アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所。2007年米国ニューヨーク大学ロースクール卒業(LL.M.)。2008年ニューヨーク州弁護士登録。2007~2008年フランス・パリのHerbert Smith法律事務所にて執務。2014年~東京大学大学院薬学系研究科・薬学部「ヒトを対象とする研究倫理審査委員会」審査委員。国内外のM&A、JV、投資案件やファンド組成・投資、AI・データ等の関連取引・規制アドバイスその他の企業法務全般を取り扱っている。週刊東洋経済2020年11月7日号「「依頼したい弁護士」分野別25人」の「M&A・会社法分野で特に活躍が目立つ2人」のうち1人として選定。
堤 彩香
アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業 アソシエイト弁護士
2017年早稲田大学法学部卒業、2019年東京大学法科大学院卒業。2020年弁護士登録、アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所。