労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針について - Business & Law(ビジネスアンドロー)

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はじめに

本稿は、「ワンポイント 独禁法コラム」と題して、独占禁止法にまつわるさまざまな話題をわかりやすく紹介するものです。
今回は、令和5年11月29日に内閣官房および公正取引委員会(以下「公取委」といいます)の連名で公表された、「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針注1(以下「本指針」といいます)について解説します。
中小企業への発注等に関わる方、中小企業において大企業との価格交渉に取り組んでおられる方、これら各企業の法務部の方などにご一読いただきたい内容です。

経緯

背景となるのは、中小企業等が労務費、原材料費、エネルギーコストの上昇分を適切に転嫁できるようにし、賃金引上げの環境を整備するという、政府全体としての動きです。本指針につながる主な動きを挙げてみます。

・ 令和3年12月
【内閣官房・消費者庁・厚生労働省・経済産業省・国土交通省・公正取引委員会】
「パートナーシップによる価値創造のための転嫁円滑化施策パッケージ」

・ 令和4年1月
【公正取引委員会】
下請代金支払遅延等防止法に関する運用基準(以下「下請法運用基準」といいます)の改正

・ 令和4年3月(令和5年3月)
【公正取引委員会】
中小事業者等取引公正化アクションプラン

・ 令和4年6月(令和4年12月に結果公表)
【公正取引委員会】
優越的地位の濫用に関する緊急調査

・ 令和5年5月(令和5年12月に結果公表)
【公正取引委員会】
独占禁止法上の「優越的地位の濫用」に係るコスト上昇分の価格転嫁円滑化の取組に関する特別調査

以上のような動きを踏まえ、急激な物価上昇に対して賃金の上昇が追いついておらず、持続的な構造的賃上げを実現するために中小企業がその原資を確保できる取引環境を整備することが重要との認識の下、取引環境の整備の一環として、本指針が策定・公表されたものです。

本指針の概要

これまでも公取委は、独占禁止法上の「優越的地位の濫用」(独占禁止法2条9項5号ハ)および下請法上の「買いたたき」(下請法4条1項5号)につき、発注者が労務費、原材料価格、エネルギーコスト等のコストの上昇分を取引価格に反映しないことが問題となるとしたうえで、発注者が受注者との間で“十分な協議”を行って取引条件を設定したかどうか等を違反の成否の考慮要素とする旨の解釈を示してきました注2
このため、独占禁止法・下請法コンプライアンスの観点からは、受発注者間で“十分な協議”を行うこと等が実務上の留意点の一つでしたが、具体的な行動指標までは明らかにされていませんでした。そうしたところ、本指針は、コストのうちの「労務費」について、独占禁止法上の優越的地位の濫用又は下請法上の買いたたきとして問題となるおそれがある行為を留意すべき点として整理するとともに、「発注者として採るべき行動/求められる行動」および「発注者・受注者の双方が採るべき行動/求められる行動」をすべて適切に採っている場合には、

「取引条件の設定に当たり取引当事者間で十分に協議が行われたものと考えられ、通常は独占禁止法及び下請代金法上の問題は生じないと考えられる」

としており、協議の内容等を具体化したものとして、参考になるものと思います。もっとも、さらに具体的な点が明らかでないところもあるため、各企業において、本指針との対応関係を点検しつつ、引き続き、十分な協議を心掛けるとともに、公取委のエンフォースメント(執行)およびアドボカシー(競争唱導)の動きを注視していくことも必要です。

本指針は、労務費、原材料価格、エネルギーコスト等のコストのうち、「労務費」転嫁の交渉について、

・ 発注者として採るべき行動の指針・・・6つ

・ 受注者として採るべき行動の指針・・・4つ

・ 双方が採るべき行動の指針・・・2つ

の計12の行動指針として取りまとめています。

各指針を適用場面ごとに整理すると図表1のようになります。

図表1 「労務費」転嫁の交渉について発注者および受注者が採るべき/求められる行動

場面

発注者が採るべき/求められる行動

受注者が採るべき/求められる行動

普段から(価格交渉以外の場面でも)

発① 経営トップの関与等

受① 交渉の仕方について相談窓口等に相談するなどして積極的に情報収集

共① 定期的なコミュニケーション

共② 交渉記録の双方保管

価格交渉の頻度・交渉開始等

発② 定期的に協議の場を設ける等★

発⑤ 労務費上昇を理由に取引価格の引上げを求められた場合は協議のテーブルにつく等★

受③ 労務費上昇分の価格転嫁の交渉は受注者の交渉力が比較的優位なタイミングなどの機会を活用

価格交渉のやり方等

発③ 理由の説明や根拠資料の提出を求める場合は公表資料に基づくものとする等★

発④ サプライチェーン全体での適正な価格設定等★

発⑥ 受注者からの申入れの巧拙にかかわらず受注者と協議等★

受② 労務費の上昇傾向を示す根拠資料としては、公表資料を用いる

受④ 発注者からの価格提示を待たずに希望価格を提示する等

※ 発①~⑥ は発注者としての行動①~⑥、受①~④ は受注者としての行動①~④、共①~② は、発注者・受注者共通の行動①~②を示します。
※ 末尾に★のついているものは、独占禁止法上または下請法上違反となるおそれのある行為についての留意すべき点が示されています。

実務の点検のポイント

本指針から、特に発注者の視点で、実務の点検のポイントとなりそうな点をいくつかピックアップしてみます(受注者としては、発注者がこれらのポイントにおいて問題ある行動をしていないか、という視点で見ると良いと思われます)。

経営トップの関与が求められている

本指針は、発注者としての行動①として、経営トップ(代表取締役社長に加え、代表権を持つ取締役等実質的に会社組織の最上位に位置する者も含む)が取組みに関与することを明示的に求めている点が一つの特徴といえます(もっとも、独占禁止法又は下請法上違反となるおそれのある留意すべき点は示されていません。)。

「① 労務費の上昇分について取引価格への転嫁を受け入れる取組方針を具体的に経営トップまで上げて決定すること

② 経営トップが同方針又はその要旨などを書面等の形に残る方法で社内外に示すこと

③ その後の取組状況を定期的に経営トップに報告し、必要に応じ、経営トップが更なる対応方針を示すこと」

「発注者の経営トップが、たとえ短期的にはコスト増となろうとも、労務費の上昇分の取引価格への転嫁を受け入れていく具体的な取組方針及びその方針を達成するための施策について意思決定し、社内の交渉担当者や、取引先である受注者に対し、書面等の形に残る方法で同方針又はその要旨などを示す、といった経営トップのコミットメントが求められる。」(下線は筆者による)

社内的にこうした取組方針を作成している企業もあるかと思いますが、本指針では、当該取組方針が社内にとどまっている限り、取引先(受注者)は知ることができず、協議の要請が困難であるとして、社“外”にも取組方針や要旨を示すことも求めています。
本指針では、「パートナーシップ構築宣言注3」の中に本指針に基づく自社の取組方針を盛り込む方法が例示されているほか、

・ 代表取締役名の文書にて、受注者との価格交渉を積極的に取り組むこと、交渉をスピードアップすること等を社内で周知した。

・ 既に設置している受注者向けの通報窓口の存在が受注者に十分に浸透していなかったため、通報窓口への通報対象に「価格交渉の観点から問題がある行為」を含むことを明記した上で、受注者に通報窓口のことを文書にて再周知した。

といった取組み事例が紹介されています(本指針第2・1)。

協議のタイミングの見直し

本指針では、発注者としての行動②として、協議のタイミングに関する記載がされました。

「受注者から 労務費の上昇分に係る取引価格の引上げを求められていなくても、業界の慣行に応じて1年に1回や半年に1回など定期的に労務費の転嫁について発注者から協議の場を設けること。」

従前から、振興基準注4には「少なくとも年に1回以上の協議を行うものとする」(第4・1(2))との記載があったところですが、優越的地位の濫用や下請法の解釈としてはタイミングについての記載はなかったところです。
本指針では、振興基準のように「少なくとも年に1回以上」という書き方はしておらず、「1年に1回や半年に1回」というのもあくまで例示と思われますが(たとえば、受注者としての行動③に挙げられた交渉タイミングの例には、「定期の価格改定や契約更新に合わせて」といった、1年に1回とは限らないものも含まれます)、いずれにしても「業界の慣行に応じて」「定期的に」交渉することが必要であり、特に、

・ 「長年価格が据え置かれてきた取引」

・ 「(実質的にはスポット取引とはいえない取引であるにもかかわらず)スポット取引と称して長年同じ価格で更新されているような取引」

などは、協議が必要とされているため要注意です。パートナーシップ構築宣言をしている企業はもちろん、そうでない企業も、これを機に協議のタイミングを見直してみてはいかがでしょうか。

公表資料を用いて交渉された場合の対応の準備

発注者が、受注者に対して、労務費上昇の理由の説明や根拠資料の提出を求めること自体に問題はありません。
そのうえで、本指針は、発注者としての行動③として、受注者から「公表資料」に基づいて提示された額の尊重を求めるとともに、仮に発注者がこれを満額受け入れない場合には、その根拠や合理的な理由を説明することを求めています。

「労務費上昇の理由の説明や根拠資料の提出を受注者に求める場合は、公表資料(最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率など)に基づくものとし、受注者が公表資料を用いて提示して希望する価格については、これを合理的な根拠があるものとして尊重すること。」

本指針ではさらに、「留意すべき点」として

「労務費上昇の理由の説明や根拠資料につき、公表資料に基づくものが提出されているにもかかわらず、これに加えて詳細なものや受注者のコスト構造に関わる内部情報まで求めることは、そのような情報を用意することが困難な受注者や取引先に開示したくないと考えている受注者に対しては、実質的に受注者からの価格転嫁に係る協議の要請を拒んでいるものと評価され得る」

として、詳細資料や内部情報が示されないことにより明示的に協議することなく取引価格を据え置くことは、優越的地位の濫用又は買いたたきとして問題となるおそれがあるとしています。
交渉の場面では、値上げを求められた際に、詳細な資料の開示を求めて根拠の説明を求めるという場面もあろうかと思いますが、場合によっては(本指針で指摘しているのは、あくまで「情報を用意することが困難な受注者」や、「取引先に開示したくないと考えている受注者」についてではありますが)協議の要請の拒否ととらえられかねないことに注意が必要です。こうしたことも踏まえ、公表資料が示された場合の対応を準備・検討し、周知しておく必要がありそうです。

サプライチェーン全体での適切な価格転嫁が求められている

本指針は、発注者としての行動④として、直接の取引先である受注者のみならず、その先の取引先との取引価格を適正化すべき立場にいることを常に意識すること、そのうえで、そのことを受注者からの要請額の妥当性の判断にも反映させることを求めています。
この点を具体的にどのように実務に反映させていくかは難しいところがありますが、本指針上、以下の「留意すべき点」が示されています。

「受注者が直接の取引先から労務費の転嫁を求められ、当該取引先との取引価格を引き上げるために発注者に対して協議を求めたにもかかわらず、明示的に協議することなく取引価格を据え置くことは、独占禁止法上の優越的地位の濫用又は下請代金法上の買いたたきとして問題となるおそれがあることに、発注者は留意が必要である。」

受注者が、その外注先から労務費上昇を理由に価格転嫁を求められたことを受けて発注者に対して価格交渉を持ち掛けてきた場合の対応についても、検討・準備をしておくとよいでしょう。

協議のテーブルにつくことを拒否しない

本指針は、発注者としての行動⑤として、協議のテーブルにつくことを拒否しないよう求めています。

「受注者から労務費の上昇を理由に取引価格の引上げを求められた場合には、協議のテーブルにつくこと。労務費の転嫁を求められたことを理由として、取引を停止するなど 不利益な取扱いをしないこと。」

このルールは一見するとシンプルなもので、本指針の策定・公表以前からも公取委から呼びかけられていたことではありますが、実際には、たとえば、「留意すべき点」にあるように、以下のような態様で協議のテーブルにつくことを拒否するケースがあったようであり、こうした対応を改めることが求められています。

・ 燃料費の上昇分の価格転嫁は認められたが、それ以外の労務費などについては交渉のテーブルについてくれなかった

・ 労務費の上昇は外部要因ではないと判断されて取引価格の引上げの理由として認めてもらえなかった

・ 価格交渉をしようとしても面談できる人に価格交渉の権限がない、「俺に言われても」などと言われて協議のテーブルについてもらえなかった

交渉の現場への周知にあたっては、「協議のテーブルにつくこと」といった抽象的なルールのみを伝えても実効的とはいえず、上記のような実例も示しながら浸透を図る必要があるといえます。

申入れの巧拙にかかわらず協議、必要に応じ考え方を提案

本指針は、発注者としての行動⑥として、

「受注者からの申入れの巧拙にかかわらず受注者と協議を行い、必要に応じ労務費上昇分の価格転嫁に係る考え方を提案すること」

を求めています。
労務費を理由とした取引価格の引上げについては、そもそも発注者に受け入れられる具体的な理由や要請額の算定方法がわからないという受注者側の声に対応したものであり、発注者には、受注者からの申入れの巧拙にかかわらず、受注者と協議し、必要に応じて算定方法の例をアドバイスするなど、受注者に寄り添った対応が求められています。
この点については、労務費の転嫁のやり方がわからない受注者に対して算定式の例を示すのは労務費の適切な転嫁に向けた取組事例といえるものの、発注者が、

・ 特定の算定式

・ フォーマット

を示し、それ以外の算定式やフォーマットに基づく労務費の転嫁を受け入れないことにより、明示的に協議することなく一方的に通常の価格より著しく低い単価を定めることは問題となるおそれがあるとされており、留意が必要です。必要に応じ提案を行うこと、一方でそれを強制してはならないことを、あわせて交渉実務に浸透させることが求められます。

交渉記録は双方が保管

発注者・受注者共通の行動指針②として、

「価格交渉の記録を作成し、発注者と受注者と双方で保管すること。」

との内容が記載されました。

実務上は、これまでも交渉の議事録を作成してきた企業も多くあると思いますが、今後はさらに「双方で」保管すべく、議事録の作成および相手方との共有フローなど、実務対応のマニュアル等を見直すことが考えられます。

最後に

以上、本指針の概要・実務点検のポイントを見てきましたが、本指針を交渉の現場にまで十分に理解してもらい、浸透させることは必ずしも容易ではないと思われます。各社の実情に応じて研修内容を工夫し、継続的に啓発を行うことが重要です。

→この連載を「まとめて読む」

[注]
  1. 「(令和5年11月29日)「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」の公表について」[]
  2. 優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方第4・3(5)ア(ア)、公取委Webサイト・よくある質問コーナー(独占禁止法)Q20(2024年1月9日現在)、下請法運用基準第4・5など。ただし、いずれも協議が不十分であることのみをもって違反が成立するとしているわけではありません。[]
  3. 「パートナーシップ構築宣言」は、サプライチェーンの取引先や価値創造を図る事業者との連携・共存共栄を進めることで、新たなパートナーシップを構築することを、「発注者」側の立場から企業の代表者の名前で宣言するというものです。[]
  4. 振興基準は、下請振興法第3条に基づく大臣告示であり、これに違反した場合の行政処分や罰則はありません(中小企業庁Webサイト・FAQ「振興基準について」Q2、Q9参照)。ただし、パートナーシップ構築宣言を行っている企業は、振興基準の遵守が宣言文に含まれています。[]

野田 学

東京八丁堀法律事務所 パートナー弁護士

2008年中央大学法科大学院修了。2009年弁護士登録。2015~2018年公正取引委員会事務総局勤務(審査局審査専門官〔主査〕)。2020~2021年経済産業省経済産業政策局競争環境整備室専門官。2021年経済産業省大臣官房臨時専門アドバイザー(競争法)。2022年グリーン社会の実現に向けた競争政策研究会(経済産業省)委員。独占禁止法・下請法を中心に、講演・セミナー多数。

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