個性を尊重する気風が総合的なサービスの広がりを生む
1959年、大阪に開設された「米田実法律事務所」にルーツを持つ弁護士法人淀屋橋・山上合同。パートナーシップによる共同事務所化、組織としての永続的な発展を目指した日本初の弁護士法人化、東京事務所の開設、山上法律事務所との合併などを経て、法的サービスと経営体制の両立および充実に向けて取り組んできた。その中で隣接法律専門職種の確保・連携、自己研鑽と業務システムの確立などにも努めてきた歴史がある。
同事務所の理念は“世界中の人々のあらゆる法的ニーズに応える”こと。その理念が表すように、弁護士総数71名(2024年11月時点)で、クライアントのニーズに合わせてさまざまな専門分野のサービスを提供する総合事務所としての機能を果たしている。
この点について石原遥平弁護士は「多様な人材を積極的に採用し、その個性を尊重して育成した結果」と評する。「新人弁護士は初期にはあらゆる分野の案件を担当し学ぶことが求められますが、その後は個人の希望を尊重して伸ばすことが推奨されます。一方で、早い年次から成果について透明性が高い評価をされ、最終的にパートナーとなる責任感を持つことも求められます。評価については、若手のうちは“顧客を獲得できるだろうか”と不安に思う人が大半です。しかし、多くの弁護士が問題なく所内外から自身の案件を得ることができています。また、育児や介護などライフステージの影響が多分な弁護士も所属していますが、そういった弁護士も活躍できるようパートナー陣が相当に気を配っていると感じます」(石原弁護士)。
他方で、若手弁護士が顧客を得やすい分野に殺到しているのかと言えば、そうではないという。「案件の大小に限らず、若手が自分のやりたいことを伸ばしやすい雰囲気がありますね」と語るのは古田俊文弁護士だ。「“時代の要請についての感度は若年層の方が高い”という観点から、若手弁護士のやりたいことをベテランが応援するという風潮があります。その結果として、現在のような総合事務所としてのサービスの広がりが生まれたのだと思います」(古田弁護士)。
草創期のスタートアップ業界でIPOと業界団体設立を経験
事務所の方針を体現するように、石原弁護士は若手時代に当時まだ珍しかったスタートアップ支援のキャリアを切り拓いた。弁護士4年目のタイミングで、上場前で社員20名程度だったベンチャー企業のインハウスローヤーとして出向したのだ。「当事務所は平均して5年目でパートナーの声がかかるので、3~4年目の時点で出向か留学かを考えます。私は当時、スポーツ法を扱う海外の大学院への留学を検討していましたが、該当の大学院が募集を停止してしまいました。ニッチな領域だけに、他の大学院に行くこともできません。そこで興味を持ったのが、当時当事務所の若手弁護士が3名ほど飛び込んでいたスタートアップ業界でした。米国では既にスタートアップ業界が隆盛して弁護士が活躍しており、これから伸びる分野だと感じていました」(石原弁護士)。
個人で出向の話を取りつけて先輩弁護士に相談したところ、「おもしろそうだ」と背中を押された石原弁護士。同社の法務責任者として、IPOに関わるあらゆる実務に携わった。「“IPOのために入社する”という話でしたが、実際にはそうトントン拍子には進みません。入社してみると、その直前まで会社のキャッシュフローにも課題があり、ようやく資金調達が無事に完了し、危機を脱したというタイミングでした。当初2年間を予定していた出向期間はIPOを終えるまで延長し、結局4年間在籍していました。その間、IPOに必要なことは一通り経験しました。本来はCFOの業務である証券会社、監査法人、東京証券取引所とのやり取りにも関与していました。大型の上場ではありませんでしたが、逆に大型になるとIPOの業務が分業制になってしまうので、全体像を把握できたことはよかったと思っています」(石原弁護士)。
IPOの審査対応では、社内の意見のとりまとめに奔走したという。「連日細かい審査質問が複数来て、回答締切も短いため、社内の適切な人から回答をとりまとめる作業が本当に大変でした。また、特徴的な論点としては当時前例が少なかったプラットフォーム事業における資金決済法への対応があります。類似企業の上場で問題になったエスクロー決済について財務局に意見書を提出してお墨つきをもらう必要がありましたが、財務局もそう簡単に首を縦に振ってくれません。電話して説明や質問をして言質をとって意見書とするなど、手探りで乗り越えた部分が数多くありました」(石原弁護士)。
加えて、石原弁護士は出向期間中に業界団体「一般社団法人シェアリングエコノミー協会」の設立に参画。ルールメイキング分野の先駆けとなった。「ちょうど民泊新法ができるタイミングで、関係各省などを回り、意見を交換しました。業界団体の設立からその後の推移をすべて見てきたので、その後の他団体のグレーゾーンの扱いや、業界団体の運営、企業と業界団体のあり方やバランスのとり方などへのアドバイスにも活きていると感じます」(石原弁護士)。
豊富なスタートアップ企業運営経験を持つ石原弁護士には、法的アドバイスを越えて企業運営全体を俯瞰したアドバイスが求められることも多い。「よく“専門分野は何か”と聞かれますが、“ありません”と回答しています。スタートアップ企業に対しては、法律に関係する分野だけでなく、ビジネスの成長に伴い発生する組織上の問題なども含めて、事前に整備すべきことなどを包括的にアドバイスできることが肝要だからです」(石原弁護士)。
スタートアップ企業の存在が世に浸透した今では、スタートアップ法務の分野を志向する若手弁護士も増えた。「スタートアップ法務は弁護士業務の中でも、特に前向きな仕事です。予防法務を超えて、経営者とともにビジネスを切り拓いて“世の中をよくする”お手伝いができる点は非常に魅力的です。“弁護士の立場”というより、スタートアップの内部の“クライアントと近い立場”で意思決定に携わることもできます。一方で、多くの企業は限られた資金で事業を運営しており、決して“割のいい分野”ではありません。この仕事におもしろさを見出せる人でないと難しいでしょう。スタートアップ案件は自身の業務全体の1/3程度に抑え、他の分野の業務とバランスよく取り扱うことも、長くこの分野に携わるコツといえます」(石原弁護士)。
法務部員から予備試験を経て転身 データプライバシー分野の専門家に
古田弁護士は、個人情報保護法、EU/UK GDPRをはじめとするデータプライバシー分野や英国を中心とした渉外法務などを専門とする。弁護士になる以前は、大手企業の法務部で国際建設に関する案件を担当した。「社内の意見をとりまとめ、事業部と外部弁護士の橋渡しを行っていたほか、海外生活も経験しました。一方で、企業法務に携わる中で、“専門性を高めたい”という思いが高まり、予備試験を経て弁護士になりました」(古田弁護士)。
古田弁護士も新人弁護士時代はM&Aを中心に幅広い分野の業務を行っていた。そのうえで、4年目で留学先として英国のロースクールを選択した。「それまではトランザクション系の業務が多かったのですが、バランスよくレギュレーション分野の業務の専門性も高めたいと思いました。また、当時は個人情報保護法対応など、データ関連の業務が増加している時期でしたので、この分野の専門性を高め自分に付加価値をつけたいと欧州を留学先に選びました」(古田弁護士)。
古田弁護士は1年目に英国のロースクールで最先端の理論に触れ、2年目にはロンドンの法律事務所で英国および欧州におけるデータ法関連の法律事務を多く経験した。「欧州はGDPRをはじめ規制が厳しく、かなりの案件数に携わることができました。その際に最新の情報を入手するポイント、勘所を掴めたと思います」(古田弁護士)。
帰国後はデータプライバシー、サイバーセキュリティ、AI等を中心とした業務を取り扱っている。これらの分野に助言を要する企業の多くはEUや英国でもビジネスを展開しているため、世界的な規制に対応する必要がある。「テック系企業の案件では、十分な情報を集め、各国規制を把握し対応しています。もちろんメーカー、金融などの業界でも現地でビジネスをしている限り、規制は適用されますし、一方で海外進出しているものの対応リソースが十分ではない企業も多いので、その点を我々弁護士がカバーできればと思っています」(古田弁護士)。
古田弁護士が今後懸念するのはEUが制定したAI Act(AI法)の日本企業への影響だ。「EUのAI Actは、人工知能(AI)システムに関する世界初の包括的な法規制で、EU市民の安全と権利を保護するための枠組みを定めるものです。私が弁護士になった当時、GDPRが施行されましたが、これは非常に厳しい法律で、EUでビジネスを行う企業は世界中どこであっても遵守しなければならず、違反すれば制裁金が課されるしくみです。実際に、莫大な金額の制裁金が課されたケースもあります。この背景から、GDPRを基準とした個人情報保護法が各国で制定され、GDPRの影響力は一層大きくなっています。EUはこの成功を踏まえ、さらなる国際的なプレゼンスを確立しようとしており、その第2弾としてAI Actが登場したというような見方も可能かもしれません」(古田弁護士)。
AI Actは2024年8月1日に発効し、主要な規定は2026年8月2日から適用開始となる。「AIは現在、ほぼすべての企業で活用されるようになり、利便性の一方で、プライバシーや人格権、肖像権、著作権などの権利侵害が懸念されています。このため、EUは市民の権利を保護するためにAIに対しても強力な規制を設けました。EUおよび英国でビジネスを行う限り、この規制の適用を受け、遵守が求められます。GDPRとは異なり、AI Actは急速に導入されたため、解釈が難しく、不明確な点も多いことが特徴です。GDPRには長い歴史があり、その背景が理解しやすい側面がありましたが、AI Actにはその前例がなく、企業として何が許容され、何が違反となるのかが明確でない部分があります。そのため、企業は専門家のアドバイスを得ながら慎重に対応を進める必要があります」(古田弁護士)。
対応する企業には詳細な制度理解と柔軟な対応が求められるが、どのような道筋があるのか。「市場での立ち位置に応じて適切なバランスをとることが、各企業にとって重要な戦略となります。EU市場でどの程度の規模のビジネスを行っているかにより、リスクとコストを考慮しながら、自社に適した方策を探ります。どの程度の対応が必要であるかは、さまざまな企業の方針を見知る弁護士のアドバイスを活かしていただければと思います」(古田弁護士)。
また、古田弁護士は現在、パートタイム制で出向し外資大手テック企業で法務としての役割も果たす。「語学力の維持と現場でのビジネス感覚醸成のために、自身で出向先を開拓しました。開発部隊やヘッドオフィスとのやり取りで常に英語でコミュニケーションがとれますし、テック企業のトレンドにも触れ、実務感覚が養えていると感じます」(古田弁護士)。
世界展開を見据えた戦略立案に異分野の知見を融合してサポート
異なる専門分野を持つ両弁護士だが、スタートアップ・ベンチャー企業の多くはテック系企業であり、両分野の知見を持ち寄る必要がある場面も多い。また、国内市場の縮小により海外市場に活路を見出そうと計画する企業も増加の一途をたどる。「スタートアップ企業は事業計画の段階で海外進出を組み込むことが多くなっています。資金調達のために事業規模を広げて見せる必要性があるという側面もありますね。近年のスタートアップ企業にとって、事業計画立案時から海外進出時のリスクやコストを織り込んでおくことも重要なのです」(石原弁護士)。
しかし、現時点でスタートアップが海外展開を成功させた事例はまだ少ない。「まだ大多数の企業は国内事業に集中した方が利益を出せる状況です。一方で、国内市場には限りがあるため、インバウンド市場もしくは北米・ヨーロッパ、アジアに活路を模索する動きがあります。この際には海外の弁護士をはじめとする専門家とのリレーションが必要なので、現地事務所とのコネクションがある弁護士に助言を求めることもポイントです」(石原弁護士)。
先例がない中で光明を見出すことは困難だが、スタートアップ企業の成長は、その“未知数”を打破する点にこそある。「事業計画の策定の際には、実際の事例やスタートアップ業界の伝手から、表に出ていないが参考になるような情報を仕入れ、戦略のバランスがとれるようアドバイスをしています。古田弁護士など所内の専門弁護士と連携して規制の詳細を把握しつつ、一般的な対応と実際の対応の落としどころを見出すことが求められます」(石原弁護士)。
古田弁護士と石原弁護士の関係性と同様、所内では案件に沿って知見を共有することでさまざまな分野に専門的なアドバイスを提供できる体制を整えている。「ナレッジマネジメントの為にSlack上で案件の共有を行っています。“こういう事例がありました”“この案件を一緒にやりませんか”など書き込むことで、弁護士間のリレーションを促進しています。同時に、所内の他案件を把握することで、どの弁護士がどんな業務に携わっているかを確認できるので、協力を求める先を把握しやすくなりますし、若手が業務分野の肌感覚を身につけることにも役立っています」(石原弁護士)。
ビジネスの意思決定と現場に寄り添った現実的なアドバイスを
同事務所の弁護士のキャリアの蓄積は個々人の意思が尊重されるため、弁護士それぞれで志向が異なる。石原弁護士の場合はスタートアップ支援を中心とした業務に相応しいジェネラリストとして、古田弁護士はデータ保護法制や渉外法務のスペシャリストとして知見を提供している。一方で、同事務所がすべての弁護士に通底する信条として徹底していることは、クライアントのビジネスを深く理解することだ。
情報化によりビジネスにスピード感が求められる現在、法律分野に固執したアドバイスはクライアントから評価されない傾向にある。求められるのは“ビジネスの勘所を踏まえた即効性のあるアドバイス”だ。「アドバイスのポイントはとにかく“情報”です。私はロースクール同期のインハウスローヤーや、大学時代の同期、友人、そしてスタートアップコミュニティと交流し、さまざまなビジネスに関する話題に触れることを重視しています。この方法で多くの分野のビジネスの解像度をできる限り高く持ち、ビジネスジャッジにおけるベストな選択肢とその背景についてしっかり説明できるようにしています」(石原弁護士)。
古田弁護士は企業の法務部に所属していた際の肌感覚を大切にしているという。「出身が大企業のサラリーマンであるため、企業の法務部の思考の背景はよく理解できます。弁護士への依頼には種類があり、法律の解釈が知りたい場合、弁護士としての見解を社内調整のために求めている場合、事業部と意見が異なる際の助け舟が欲しい場合など、状況によってさまざまです。また、大企業だけでなく中小企業の案件を経て培った現場感覚もありますし、日系企業と外資系企業ではカルチャーが異なることも実感しました。それぞれ異なる企業に適したサポートをしたいですし、今後もできる限り幅広い企業と関わり、その経験を集約して対応に活かしたいと考えています」(古田弁護士)。
石原 遥平
弁護士
Yohei Ishihara
09年慶應義塾大学法科大学院修了。11年弁護士登録(第一東京弁護士会)、淀屋橋合同法律事務所(現 弁護士法人淀屋橋・山上合同)入所。16~20年株式会社スペースマーケット出向。公益財団法人日本スポーツ仲裁機構(JSAA)仲裁調停専門員。株式会社DOA社外監査役。株式会社RECEPTIONIST社外監査役。一般社団法人よんなな会監事。株式会社スペースマーケット取締役監査等委員。
古田 俊文
弁護士
Toshifumi Furuta
11年立命館大学法学部卒業、千代田化工建設株式会社入社。16年司法試験合格。17年弁護士登録(第一東京弁護士会)。23~24年3CS Corporate Solicitors勤務。23年英国ロンドン大学キングスカレッジ ロースクール修了(LL.M.)、Certified Information Privacy Professional/Europe (CIPP/E)登録。24年英国弁護士(ソリシター)登録。