中小企業に広がる企業再編の波 買収に潜むリスクと制度改正の課題
中小企業を対象とするM&A市場が急速に拡大している。株式会社東京商工リサーチの2025年の調査によれば、大企業の24.1%が他社の買収を、中小企業の5.2%が自社の売却をそれぞれ検討しているという。本格的な人口減少社会に突入する我が国において、後継者不足により廃業する中小企業が増加すれば、経済に大きな影響を及ぼしかねない。そのため、今後も大企業による中小企業の買収は増加することが見込まれる。
国内の大規模M&A・クロスボーダーM&Aに豊富な経験を有するT&K法律事務所の津田雄己弁護士は、中小企業を対象としたM&A(以下「中小企業M&A」)の相談を受ける機会が増加しており、大企業同士の案件とは異なる難しさがあると指摘する。
「中小企業では、管理体制や契約関係が必ずしも十分に整理されていないことも多く、一見シンプルな事案に見えても、実際には大きなリスクが内在していることがあります。創業者が長年経営してきた企業では、株式の譲渡記録を追うことができない、重要な取引先との契約が実際の取引や運用と合致していないといった例は珍しくありません。買収前の段階で表面化していなかった問題が買収後に発覚することもあります」(津田弁護士)。
中小企業M&Aの件数増加と比例するように、M&A支援の質の問題や、仲介人の不適切な説明に起因するトラブルの顕在化も報じられている。企業買収に関する紛争に幅広く関与してきた葛西悠吾弁護士は、事後的な紛争解決には限界があると指摘する。
「買収に関する紛争は種類が多く、紛争につながる潜在的リスクが随所に潜んでいます。訴訟のような事後的な紛争解決は時間的・人的コストを要し、期待する結果が得られない可能性もあります。対象会社の規模を問わず、契約前に事案ごとのリスクを見極め、買収価格や取引条件、あるいは買収そのものの可否の判断に反映させることが肝要です」(葛西弁護士)。
中小企業M&Aをめぐるトラブルの頻発を受け、中小企業庁は「中小M&Aガイドライン」の改訂や、「中小M&A資格試験」制度の新規導入を進めている。葛西弁護士はこの動きを歓迎しながらも、“弁護士との適切な棲み分け”という観点から慎重な見方を示す。
「同資格の導入は市場健全化に資する一方、法律業務を行う資格ではなく、弁護士との適切な棲み分けが確保されなければ、助言の質は担保されません。仲介人が買主・売主双方とアドバイザリー契約を締結し成約による成功報酬を得る場面では、成約が優先され、当事者との利益相反が生じやすい構造があります。法的判断を要する場面では、買主・売主がそれぞれの利益を代理する弁護士の助言を得られるよう、同資格者がつなぎの機能を果たすことが重要だと考えています」(葛西弁護士)。
中小企業M&Aに最適なDDを提案 本質を捉えてスコープを立案・構築する
中小企業M&Aの市場拡大に伴い、デューデリジェンス(以下「DD」)の役割と重要性が、改めて注目されている。だが、取引規模の関係から、DDにどこまで費用をかけるかという点が法務担当者を悩ませる問題となりがちだ。片岡良平弁護士は、取引規模によって単純にリスクを判断するのは困難だと警鐘を鳴らす。
「日本のDD実務は通常、網羅的な情報保全・収集を行うフォレンジック調査を前提としません。買主が上場会社であれば、買収後に発見された問題が内部統制の不備の問題となり、特別調査委員会の設置、社内自主点検等の事後対応が必要となって、多数の関係者・当局との調整を要することがあり得ます。ひとたびこのような事態が生じると、各種調査等の費用で数億円を超える負担が生じ得ます。そして、こうした潜在的なコンプライアンス問題に伴う将来リスクは、取引の規模のみでは測れません。中小企業M&Aであっても、事前にコストをかけてでもリスクを洗い出しておく意義は大きく、必要なDDには費用を投じることで、投資へのリスクヘッジとリターンとのバランスをとることが実務的に重要になります」(片岡弁護士)。
葛西弁護士は、買主と売主のそれぞれにとってのDDの意義を次のように明快に整理する。
「従前は、中小企業M&Aの実務として、そもそもDDが行われないことも珍しくありませんでした。しかし、DDには買主がリスクを把握してM&Aを実施すべきか否かを検討し、実施する場合には株式譲渡契約等の条件を調整することで事後のトラブルを回避できるという意義があります。売主にとっても、DDを経ることで過剰な表明保証責任等、契約上の義務の増加を防ぐことができるため、DDは双方のリスクを整理・調整するうえで重要なプロセスといえます」(葛西弁護士)。
さらに、DDは役員の経営判断に係る責任の存否にも関係することを指摘して、次のように語る。「買主が上場会社の場合は特に、役員の株主に対する責任が問題となり、取締役が善管注意義務を果たして経営判断を行う前提としてDDを活用する意義もあり、対象会社が中小企業であっても、法務DDは基本的に実施すべきでしょう。中小企業庁も、“予算等の制約がある場合であっても、検討対象を絞るなどの工夫をして、実施する調査の内容を検討することが望ましい”と指摘しています」(葛西弁護士)。
費用面等の制約を受けて簡易に行われるDDが、形式的なものに陥ってしまうリスクへの懸念も根強い。津田弁護士はさらに踏み込んで次のように語る。
「たとえば、事業計画の前提や根拠が不正確だったり、重要な契約の継続性に問題があったりするのを見落とすと、買収の意味を失いかねません。中小企業では、主要取引先から契約見直しを示唆するメールが届いているのを看過しただけでも、事業計画全体が狂うおそれがあります。海外拠点や海外取引があれば海外法務の知見も欠かせません。定型的なDDチェックリストを埋めるだけで終わらせず、取引の特性に応じて重大論点を見抜く視点が不可欠です」(津田弁護士)。

津田 雄己 弁護士
法務DDを真にディールに活かすために リスク分析を踏まえた戦略的な契約設計
現実の中小企業M&Aでは、法務DDを省略・簡略化し、その分、契約における表明保証を手厚くするという手法が採用されるケースもあるが、これは万全の備えとはいえないという。
「事後的な損害賠償請求には時間と労力がかかるうえ、請求期限や上限額などが合意されるのが通常ですし、請求時点で売主に資力がなければ回収不能となる可能性もあります。また、裁判例上、買主が表明保証違反の事実を知ることができたはずだといえる一定の場合には、売主が表明保証責任を免れる余地が認められています。そのため、DDを省略してしまうと、交渉過程で示された情報から買主が少し調べれば表明保証違反に気づけたのに見落とし、違反に対する請求もできないうえに、契約で問題を手当てする機会も逸してしまう事態も考えられます」(葛西弁護士)。
これは理論上の問題にとどまらない。葛西弁護士は、実際に買主側の代理人として表明保証違反を争った経験からさらにこう語る。
「被告の売主側からは、取引当時に開示済みとする資料が証拠提出され、“その記載を読めば買主は問題を認識し得たはずだ”と主張されたため、反論に必要な当時の状況の分析には相当な労力を要しました。この事案は、充実したDDが行われていれば買主が買収を見送っていたと考えられました。表明保証はあくまで事後的な補完手段に過ぎず、問題の性質によっては金銭補償では十分な救済にならないこともあります。買収を見送る、あるいは価格・前提条件を見直すという判断こそが重要な場面もあるのです」(葛西弁護士)。
津田弁護士は、事後的な賠償請求における交渉や裁判上の請求を見越し、特別補償条項の重要性も強調する。
「紛争になるリスク、紛争になった場合の時間的労力を回避するため、私たちは、特別補償条項の発動事由および条件、請求手続、請求額、その支払プロセスをいかに具体的に設計するかも重視しています。DDで検出された問題点への対応を特別補償条項で詳細かつ現実的な内容で定め、損害額の算定についても規定しておくことで、万一の場合でも、長期間を要する裁判手続によらずに、交渉や請求を有利に進めることができます」(津田弁護士)。
中小企業M&Aでは、PMI過程において買主と売主である創業者との関係悪化が紛争の引き金となるケースも多いという。
「相当額の対価を受け取り事業の一線からは退いていく創業者と、買収後の成長を目指す買主側とでは、対象会社の企業価値向上に向けた目線が異なりがちです。買主側の立場からは、創業者ら売主が買収後も対象会社に残る場合には、残留インセンティブを作ることや、業務内容・勤務形態・経費使用枠等を、経営委任契約等で詳細に規定することを検討すべきです。さらに、一定の業績達成またはコンプライアンス問題の不存在を条件に、買収対価を段階的に支払う形とし、事後に特別補償条項に基づく請求が生じた場合でも相殺処理しやすくすることも理想的です。買収時のDDの十分性次第で、買収後に創業者に関するフォレンジック調査を行うことも考えられます」(片岡弁護士)。

片岡 良平 弁護士
読者からの質問(表明保証責任の上限額の相場)
日本においても、経験上、譲渡価格の20~50%程度に設定される場合が多いと感じていますが、規模の小さいM&Aの方が上限の割合は高くなる傾向があります。また、たとえば、株式の権利の有効性等の基礎的な条件の表明保証に対する補償については、譲渡価格の100%が設定されることはあります。
以上のような相場観を前提としつつも、具体的な数値は当事者間の交渉で決まるため、各事案の個別の事情によっては相場の幅の中の高め・低めというだけでなく、枠から離れる場合も当然あってよく、交渉手腕が問われます。適切な上限額の設定の場面でも、DDの検出事項が重要な意味を持ち、たとえば買主側の立場では、契約締結までに支出した費用の額や、DDの結果を踏まえて表明保証違反が生じうるリスクを勘案して、賠償額の上限の設定方法・水準と補償の実効性確保の手段をセットで検討しています。また、税務や環境に関する表明保証違反など損害の見積りが困難である違反や、損害が拡大しやすい違反については、個別に上限を高めに設定することも検討すべきです。
対象会社が債務超過で譲渡対価が備忘価格となるケースなど、譲渡対価を基準とすることが適切でない場合もあります。その場合は譲渡対価を基準とした上限設定では買主の損害が回収できないため、上限を設けない、または譲渡対価にかかわらず金額を定めることも考えられます。いわゆる相場の傾向に縛られすぎず、その取引で生じうるリスクをどこまでカバーすべきかを起点に、合理的なラインを導き出すことが肝要です。その際の交渉では、DDでの発見事項を活かすことができます。
高まるコンプライアンス要請と生成AIが実務に革新をもたらす可能性
今後のDDのあり方はどのように変化していくだろうか。
「定型的なQAシート等を使って基本事項を調査することは多いですが、重要なのは、取引の目的やニーズを依頼者と共有し、適切なスコープと粒度でDDを行い、契約条件やPMIに反映させることです。主要取引先との力関係、特定の従業員の退職による顧客・技術の流出、少数株主や創業家との感情的対立など、開示資料のみでは検出されず、表面的なチェックでは見落とされがちな論点は少なくありません。オーダーメイドのアドバイスの重要性は、今後さらに高まるでしょう」(片岡弁護士)。
葛西弁護士は、DDで特に注力すべきトピックを考える際は、個別事案の事情だけでなく、社会動向にも目を向けるべきだと注意を促し、コンプライアンスの重要性を強調する。
「たとえば労務については、残業・ハラスメント問題に対する社会的関心の高まりに伴い、重要度が増してきました。昨今は企業不祥事が相次いでおり、それに対する社会的な目もより厳しくなっています。情報管理や取適法等、コンプライアンスに関する法務DDの重要性は、今後もさらに高まると予想されます。中小企業では内部通報制度が整備されていないケースもあるため、買収後に不祥事が発覚するリスクには特に注意が必要です。買収でシナジーを得るどころか、会社全体の財務状態、ひいては企業ブランドや事業の展望にまでダメージが及ぶ事態は回避しなければなりません」(葛西弁護士)。
技術革新の活用も避けて通れないテーマだ。葛西弁護士は生成AI(以下「AI」)の活用について現実的な展望を語る。
「開示資料の確認・要約等はAIで効率化し、弁護士は取引固有の重大リスクの解明や対応策の提案に集中する。そうした役割分担により、高度なアドバイスをよりリーズナブルに提供できるようになると期待されます。もっとも現状では、適切なプロンプト設計や出力の正確性の検証に、専門家の目が不可欠です」(葛西弁護士)。

葛西 悠吾 弁護士
片岡弁護士は、AIと法的責任の関係についてこう指摘する。
「現時点では、AIに完全に依拠して調査・判断したことが、経営判断原則の前提として十分であると認められた判例はありません。情報収集の十分性・正当性については、今後、慎重に見ていく必要があります」(片岡弁護士)。
津田弁護士は、フォレンジックとAIの組合せに注目する。
「現状のDDは売主が開示した資料の確認にとどまりますが、今後フォレンジック会社がAIを活用して大量のメールデータをレビューする動きが進めば、従来表面化しにくかった問題の事前把握が現実的になるでしょう。AIで見かけ上整ったレポートを作成しても意味がなく、AIを使いこなし、経験と知見を活かしたサービスを提供できるかが問われます」(津田弁護士)。
中小企業M&Aの件数が増えるほど、紋切り型の対応では対処しきれない案件も増える。取引対価の妥当性判断だけでなく、買収後の重大リスク事象の発生の予防や備えをする意味でも、真に意味のあるDDを実施するためには、個々の取引の特性を的確に捉え、本質的なリスクを見極める専門家の経験と判断力が不可欠だといえよう。
津田 雄己
弁護士
Yuki Tsuda
03年京都大学法学部卒業。04年弁護士登録(第一東京弁護士会)。04~12年長島・大野・常松法律事務所。09~10年Widyawan & Partners(ジャカルタ)出向。11年University of Southern California修了(LL.M.)。13~19年Assegaf Hamzah & Partners(ジャカルタ)Rajah & Tann Asiaジャパンデスク。14年ニューヨーク州弁護士登録。14~22年JETROジャカルタ事務所法務専門家。16~18年Al Azhar大学非常勤講師。16年T&K法律事務所設立。
片岡 良平
弁護士
Ryohei Kataoka
02年早稲田大学法学部卒業。04年弁護士登録(第一東京弁護士会)。04~16年長島・大野・常松法律事務所。09~10年三菱商事株式会社法務部出向。11年Duke University School of Law修了(LL.M.)。11~12年Amarchand & Mangaldas & Suresh A. Shroff & Co(デリー)(現 Shardul Amarchand Mangaldas & Co)出向。12~13年インド三菱商事会社出向。16年T&K法律事務所設立。
葛西 悠吾
弁護士
Yugo Kasai
14年京都大学法学部卒業。16年京都大学大学院法学研究科法曹養成専攻修了。17年弁護士登録(第二東京弁護士会)。18~19年小島国際法律事務所。19~22年OMM法律事務所。22年T&K法律事務所入所。24年公認不正検査士(CFE)資格取得。25年一種証券外務員資格取得。25年神戸大学大学院法学研究科法学政治学専攻博士課程後期課程修了(博士(法学))。