独禁法執行における経済分析に関する最近の動き
「ワンポイント独禁法コラム」の連載第4回となる今回は、独禁法の執行において、最近、重要性が増しつつある経済分析について解説します。
最初に、経済分析と独禁法のこれまでの関係について簡単に振り返りたいと思います。
これまで、独禁法に関する政策立案の場面では、経済学の知見が取り入れられてきました。たとえば、公正取引委員会(以下、「公取委」といいます)の企業結合審査ガイドライン(「企業結合審査に関する独占禁止法の運用指針」)や、流通・取引慣行ガイドライン(「流通・取引慣行に関する独占禁止法上の指針」)などがその例です。
平成後半以降は、企業結合審査を中心に、独禁法執行においても経済分析が取り入れられてきました。公取委は、毎年、企業結合審査の主要事例集を公表していますが、近年は、この事例集に毎年必ず数件は経済分析が活用された事例が掲載されています(具体的な事例は、公取委HPを参照ください)し、また、その記載内容も以前と比較して詳細になってきています。また、企業結合以外の、独禁法違反被疑事件においても、経済分析が用いられた事例が見られます。たとえば、アマゾンジャパン合同会社の優越的地位の濫用に関する件はその一例です。
さらに、令和に入って、令和4年4月1日には、公取委官房総務課に経済分析室が創設されました。この経済分析室は、個別事案において経済学的観点からの助言を行ったり、経済分析を実施したりする役割を担っています。また、特定の市場について実態調査や、個別事案等に関して、規制や採られた措置の事後評価を行うという役割も担っているということです。これまでは企業結合課をはじめ、個別の課室にエコノミストが配属されていた形だったものが、経済分析室というフォーマルな形でエコノミストチームを再組織したということで、経済学博士号取得者複数名を含む職員から構成されているということです(創設前の資料ですが、「公正取引委員会における経済分析の活用について」(令和3年6月24日)が参考になります)。
さらに、令和4年5月31日には、「経済分析報告書及び経済分析等に用いるデータ等の提出についての留意事項」(以下、「経済分析ベストプラクティス」といいます)が公取委から公表されました。これは、いわば経済分析およびデータ提出に関する“日本版のベストプラクティス”という位置づけのものになります。欧米の主要な競争当局や、お隣の韓国公正取引委員会などは既に経済分析ベストプラクティスを公表していたので、我が国もようやくこうした海外当局に追いついたということかと思います。
経済分析室の創設と、経済分析ベストプラクティスの公表がなされた背景として、以下のような事柄が考えられます。
① 公取委内で経済分析の知見が蓄積されたこと
② デジタルプラットフォームビジネスを中心として、経済学・経済分析の知見を活用しなければ対応できない状況(企業側が強力なエコノミストチームを擁している場合等)が増えてきたこと
③ ①②の状況を踏まえ、公取委として「今後一層、経済分析を活用していく」と対外的にアピールする狙いがあること
企業としては、こうした公取委の動きにどのように準備し、対応していく必要があるかを考えなければならないタイミングとなっているのです。
経済分析ベストプラクティスのポイント
次に、経済分析に関して企業がどのように準備し、対応していくべきかの示唆を与えてくれる経済分析ベストプラクティスについて解説します。
経済分析ベストプラクティスには、経済分析のテクニカルな内容の説明なども含まれていますが、経済分析の専門家の観点からは標準的な内容といってよいでしょう。企業法務担当者や弁護士がむしろ注意すべきは、「経済分析ベストプラクティスのカバー範囲が広い」という点です。
「経済分析ベストプラクティスがカバーしている範囲が広い」とはどういう意味かについて、次の四つの点から説明したいと思います。
・ 経済分析が対象とする案件
・ 経済分析の利用者
・ 経済分析の内容
・ 経済分析が対象とする分析事項
経済分析が対象とする案件
経済分析の対象に企業結合審査が含まれるのは、既に公取委の事例集からも周知の事実ですので、特に驚きはないでしょう。一方で、独禁法違反被疑事件、特にカルテル・談合以外のいわゆる“単独行為“が問題となる事件も対象に含まれるというのは、意外に思われるかもしれません。
とはいえ、先に述べたアマゾンの事件のほかにも、公表はされていないものの、単独行為の事件で経済分析が用いられたケースはいくつかあります。単独行為、つまり競争者排除や優越的地位の濫用が疑われる行為というのは、明らかに「競争を阻害する行為である」といえるものは実は少なく、「競争を促進する効果がある」といえるものも多いというのが実際です。そこで、経済学の知見に基づいて競争促進効果があることを論じたり、あるいはデータに基づいて実際に競争促進効果が見られることを立証したりといった点で、経済分析のニーズがあるのです。
また、最近公取委が力を入れている、特定の市場に関する実態調査や競争政策に関する政策提言を行っていくという場面でも、経済分析によってより説得的な主張を行うという使われ方がされることもあります。実態調査についても、平成29年の学校制服についての実態調査において公取委は制服の販売データを使って計量経済分析を行い、
・ 自治体が制服の仕様の共通化を行っている場合
・ 学校が案内する指定販売店等の販売店数が増加した場合
・ 学校が販売価格の決定に関与した場合
において、制服の販売価格が統計的に有意に安くなるという結果を得て、競争政策上の評価を行う際の参考としています。
このように、経済分析が対象とする案件は企業結合審査以外にも広がっているということは、企業側も意識した方がよいと思います。
経済分析の利用者
経済分析の活用を検討しなければならないのは、当然、一義的には、企業結合審査や独占禁止法違反被疑事件の当事会社ということになります。
一方で、需要者に当たる企業や競争事業者も対象に含まれるということには注意しなければなりません。公取委は、当事会社だけでなく需要者や競争事業者に対してもデータや情報の提供を求める場合があります。「どこまでその要請に応じなければならないか」という問題もあるのですが、データや情報の出し方について、少なくとも自らに不利にならないようにしなければならないでしょう。
また、需要者や競争事業者が積極的に公取委に働きかけるということも考えられます。その際に、自らの主張をより説得的に示すべく経済分析を活用するのも有用でしょう。実際にそのようなケースもあります。
経済分析の内容
経済分析ベストプラクティスでは、経済分析の内容について以下を示しています。
・ 統計分析:二つの商品の価格差について統計学的検定を行ったり、連動性を見るための相関係数を計算したりすることが含まれる。
・ 計量経済分析:価格等に関する回帰分析、需要関数の推定等を行うなど、データを使って経済学理論に基づいた統計的な分析を行う。
・ 理論モデル分析:必ずしもデータは用いず、事業者や消費者といった経済主体の行動を説明する数理モデルを用いて、企業の特定の行為が消費者の厚生あるいは利益にどのような影響を与えるかを理論的に考察する。
このほか、データを可視化する分析(自社の主張をサポートするために何らかのデータに基づいて作成したグラフや表)も含まれます。そのようなシンプルなものまで“経済分析”といえるのかと感じる人もいるかもしれません。しかし、グラフや表の元となるデータの収集方法や加工の仕方、可視化の方法やグラフ・表の解釈について、経済学の知見に基づいたものでなければ説得力を失う可能性があります。
また、質問票を用いた調査、つまりアンケート調査も含まれます。アンケート調査に関しては、「誰を対象とし、どれくらいのサイズのサンプルを、どのように抽出してくるか」「どのような質問の聞き方をすべきか」といった点で専門的な知識が求められます。上記のグラフや表と同様、こうした専門的な知識に基づくものでなければ、説得力が失われるおそれがあります。
このように、企業としては、経済分析の内容に関しても「経済分析ベストプラクティスがカバーする範囲は広い」ということを認識したうえで、その活用にあたっては、必要な知見を備えた専門家を採用すべきであると思われます。
経済分析が対象とする分析事項
経済分析ベストプラクティスで示される、経済分析によって光を当てることができる分析事項として、
・ 市場画定
・ 事業者間の競争関係
・ 輸入圧力
・ 参入圧力
といった、いわゆる競争分析における考慮要素が挙げられます。これらについては、それぞれ確立された経済分析の手法があり、利用可能なデータや事項の重要性に応じて、適切に選んで実施していくことになります。
経済分析の役割
経済分析ベストプラクティスには、経済分析が果たす重要な役割として競争制限のメカニズムに経済分析の光を当てていくことが明記されています。これは、従来あまり理解がされていなかった点でもあり、私は、これが今回明記されたことは、実は非常に大事なことなのではないかと考えています。
具体的には、経済分析ベストプラクティスの第4「公正取引委員会との意思疎通」に以下のように示されています。
競争制限のメカニズム等の論点に関し、意思疎通を十分に行うことで、関係事業者等が実施することが有用な経済分析等についての理解を深めることができ、同様に、公正取引委員会の経済分析担当者も、関係事業者等の主張をより良く理解できると考えられる。
これはつまり、特定の事案について、“何が重要な論点であり、どういった経済分析を行うべきか”ということから公取委と関係事業者等との間で議論を行いながら審査を進めていくことが重要であるということです。そのプロセスにおいては、公取委のエコノミストと関係事業者側のエコノミストが関与することとなります。要は、“事案の筋読み”からエコノミストを関与させ、必要となる経済分析を特定したうえで経済分析を実施するということです。もちろん、これはエコノミストだけでできることではなく、関係事業者やその代理人が一緒になって作業に当たる必要があります。したがって、エコノミストは法的議論の中にどのように経済分析を位置づけるかについて習熟している必要がありますし、関係事業者やその代理人は、経済分析は単にテクニカルな分析手法の一つではなく、重点的に審査が行われる事項、ひいては審査の方向性にも関わる本質的な役割を果たすものだと理解したうえでその活用方法を検討することが求められるでしょう。
まとめ―企業への示唆
このように、公取委による独禁法執行における実務は、経済分析室の創設と経済分析のベストプラクティスの公表により、新しい局面を迎えたといえます。このため、企業やその代理人にとっては、法的議論の構築・戦略策定において経済分析を取り込む必要性が今後より一層高まることが予想されます。
企業としては、公取委による独禁法執行の対応にあたっては次のような点に留意し、経済分析の活用を検討すべきといえるでしょう。
・ 企業結合審査や独占禁止法違反被疑事件の当事者となる企業だけでなく、需要者や競争事業者も、経済分析の活用可能性を考える必要がある。
・ 経済分析のスコープは幅広く、専門性が求められるので、適切に経済分析の専門家の活用を考える必要がある。
・ 経済分析は単なるテクニカルな分析手法の一つではないことを理解し、審査における重要な論点について公取委との間で議論を行う際には、エコノミストの関与を検討する必要がある。
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福永 啓太
アリックスパートナーズ ディレクター
コンサルティング会社、公取委企業結合課を経て、現在、アリックスパートナーズの日本における法規制関係のコンサルティングチームのリーダーを務める。独禁法事案や商事紛争事案を中心に経済分析コンサルティングサービスを提供している。JXホールディングス株式会社による東燃ゼネラル石油株式会社の株式取得、株式会社ファミリーマートとユニーグループ・ホールディングス株式会社の経営統合など、多くの独禁法事案に関与。