リーガル領域におけるデジタル化は、単なる効率化の手段ではなく、司法や行政、そして企業法務における「信頼の再設計」を問う重要な取り組みである。本イベントでは、三つの視点からその核心に迫った。 まず、渥美坂井法律事務所・外国法共同事業の落合孝文弁護士が法曹界DXの全体像を概説した。続いて、日本公証人連合会会長の萩原秀紀氏と、アドビ株式会社の岩松健史氏が、公正証書のオンライン化を支える技術条件と成功要因について対談。最後に、株式会社JERAの法務・秘書統括部長である多賀谷健司氏と、法務部リーガルオペレーション ユニット長のダリル・オーサチ氏が、組織に新たな仕組みを根づかせるための「リーガルオペレーション」実践の知恵を紹介した。
デジタル社会における法曹界DXの展望〜裁判IT化・認証基盤・法的文書DXの現在地と未来
2026年は法曹界DXにとって大きな転換点となる。改正民事訴訟法の全面施行や、民事判決情報データベース(DB)化法の運用開始、そして欧州AI Actのハイリスク義務発効という制度的変化が重なり、AI利用、DXは「段階的導入」から「本格運用」へと移行する。渥美坂井法律事務所・外国法共同事業の落合孝文氏はこの変革を、①裁判IT化、②認証基盤、③リーガルテックという三つのレイヤーで解説した。
裁判IT化
2026年5月の民事訴訟法の全面施行により、訴訟記録の電子化や、代理人弁護士によるオンライン申立ての義務化が運用開始となる。システムの開発遅延や、「紙・FAX文化」からの脱却といった実務的課題はあるが、デジタル手続が原則となる。さらに民事判決情報DB化法により、判決情報の網羅的なDB化が進むことに関して、落合氏は「今後、類似事案の検索精度向上や訴訟戦略の定量的分析が可能となる一方、効率的な情報開示に際しては、AIマスキングの精度とプライバシー保護とのバランスが課題となります」と指摘した。
認証基盤
電子申請の信頼性を支えるのが、マイナンバーカードを用いた公的個人認証(JPKI)や政府認証基盤(GPKI)だ。スマホへの搭載や民間サービスの本人確認にも広がり、法曹界のDXを支える不可欠なインフラとなっている。
「クラウド型(立会人型)電子署名の法的有効性については議論もありますが、実務での利用は急拡大しています。今後は更なるデジタルトラストの社会基盤の整備や、国際的な相互認証や長期保存への対応が課題となるでしょう」(落合氏)。
リーガルテック(AI)
生成AIの普及とともにAI契約レビューが高度化しており、エージェンティックAIの導入も進んでいる。弁護士法72条(非弁行為の禁止)との関係整理が議論されており、法務省が今夏をめどにロードマップを公表する見通しだ。
落合氏は、総括として「法曹界DX成功」の3条件を次のように述べた。
「法曹界DXの実現には、①インフラ整備、②規制の適時適切な見直し、③人材の変革という3要素を統合的に推進することが不可欠です。加えて、人間ならではの“高度な問いの立て方”や“意思決定”といった役割への注力も求められています」。
日本公証人連合会×アドビ 対談セッション「デジタル化で、公正証書はどう変わったのか」
続く第2部では、日本公証人連合会会長の萩原秀紀氏と、アドビ株式会社の岩松健史氏が、公正証書のデジタル化が実現した背景とその基盤となった技術、そして企業や市民が享受できるメリットについて対談した。
公正証書のデジタル化の背景と課題
冒頭、萩原氏は公正証書の利用状況とデジタル化の背景について、次のように説明した。
「公正証書は、公証人が法律に従って作成する公文書で、高い証明力と執行力を備えています。近年、利用件数が増加傾向にあることに加え、社会全体のデジタル化を受け、公証人法が改正されました。原則として電磁的記録による公正証書の作成が義務づけられたことが大きな転換点となり、デジタル化プロジェクトが始動しました」(萩原氏)。
「真正性の確保」がカギ――アドビソリューションの採用理由
公正証書デジタル化の実現にあたり、最大の課題は「紙の署名・捺印と同等の真正性を、デジタルでいかに担保するか」だったと萩原氏は語り、日本公証人連合会がアドビのソリューションを選択した理由として、「社会への浸透性」「強固なセキュリティ」「高度な検証基盤」の3点を挙げた。
「ファイル形式としてのPDFは、官公庁や民間企業を問わず広く普及しており、誰でも特別な手間なく閲覧できるメリットがあります。また、Acrobat Signにより改ざんされるおそれのない電磁的記録に電子サインができることや、公証人が付与する電子署名において、政府認証基盤(GPKI)がアドビの信頼済みリスト(AATL)に登録されていることも決め手となりました。利用者はAcrobat Reader等で文書を開くだけで、署名された電磁的記録の真正性を容易に確認できます」(萩原氏)。
これに対し、岩松氏はテクノロジーの側面からこう補足した。
「GPKIはデジタル庁が運用する電子署名を利用するための認証基盤です。これと、アドビが世界規模で運用する電子証明書のホワイトリストであるAATL(Adobe Approved Trust List)が連携することで、万一改ざんされた場合も検知可能な仕組みが整いました。世界中で普及しているツールを利用し、安価かつシンプルに真正性を確保できたと思っています」(岩松氏)。
デジタル化がもたらした利便性と実務の変化
萩原氏は、最も画期的な成果として、「完全オンライン」での電子公正証書作成が可能になった点を挙げた。
「まず公証人がPDFで公正証書の原本を作成し、ウェブ会議で内容を確認した利用者に電子サインアプリを通じてPDFを送付します。その後、利用者が自分のパソコンでAcrobat Signを使って電子サインすれば、公正証書が完成します。たとえば、離婚の手続き等で相手方と同じ空間にいたくない場合や、遠方に住んでいる場合でも、リモートで安全に公正証書を完成させられるようになりました。公証人側のプロセスはデジタル化によって複雑になった面もあり、業務効率の改善は今後の課題ではありますが、利用者側からは非常にポジティブな反響をいただいており、利便性は確実に向上しています」(萩原氏)。
企業における公正証書デジタル化の価値とは
萩原氏は企業における公正証書デジタル化のメリットについて次のように語った。
「不確実性の高い現代において、公正証書によって真正性が担保されれば、紛争を未然に防止できるというメリットがあります。また、デジタル化によって知見の共有が進み、人為的なミスを防ぐことも可能になり、現場の生産性向上やリスクの軽減にも寄与すると思います」(萩原氏)。
最後に岩松氏は、「電子化が実現したことで、今後ますます公正証書の需要が拡大すると予想されます。今後もアドビは官公庁のパートナーとして、システムの改善や公正証書の需要拡大に貢献していきたいと思います」と述べ、対談を締めくくった。
リーガルオペレーションの実践と“習慣化”戦略
「業務量は増える一方なのに、予算は限られている」という企業法務の共通課題に対し、株式会社JERAは2022年、「リーガルオペレーション ユニット(LOU)」を発足させた。法務・秘書統括部長の多賀谷健司氏とLOU長のダリル・オーサチ氏が、法務を戦略的なビジネス機能へと変革するための四つの柱、「戦略」「ワークフロー」「テクノロジー」「ナレッジマネジメント」について語った。
戦略
戦略とは「チームの進むべき方向を示す地図」である。オーサチ氏は、上層部だけで決定するのではなく、現場からの率直なフィードバックを反映させる「共有サイクル」の重要性を強調した。多賀谷氏も、戦略なきテクノロジー導入は脱線の恐れがあるとし、草の根レベルでの議論と定期的な見直しの必要性を説いた。
ワークフロー
オーサチ氏は、「ワークフローを改善し、効率化を見える形で推進することで信頼構築につながる」と前置きしたうえで、「ワークフローマッピング」から着手するアプローチを推奨した。自動化を急ぐのではなく、人間の動きを中心に据えてボトルネックやペイン・ポイント(苦痛)を特定し、そのうえで適切なツールを選択する。「“プロセス・人・テクノロジー”の三つが揃って初めて最適化が実現します」と強調した。
テクノロジーの利用
テクノロジー活用において重要なのは、新ツールの導入自体よりも「組織文化」と「教育」である。オーサチ氏は、Excel等の使い慣れたツール間での自動化にこそイノベーションの本質があると指摘。多賀谷氏は、失敗を恐れず試行錯誤できる余裕と、それを率直に共有できるコミュニケーション文化が変革を加速させると述べた。
ナレッジマネジメント
今後は、生成AIの精度を左右する高品質なデータセットの構築や、契約書を「組織の武器」にする視点が不可欠となる。オーサチ氏は「今後、法務において最も重要性が増すのがナレッジマネジメント」だとし、属人的な知識を組織の習慣へと昇華させることで、将来の法務組織を支える基盤を作ると述べた。
最後に多賀谷氏が「変革を成功させるカギは、担当者一人ひとりが“自分の業務に役立った”と感じる、小さな成功体験の積み重ねにある」とまとめ、現場の納得感を大事にしながら、少数の賛同から徐々に全体へ変革を広げていく着実なアプローチこそが、リーガルオペレーション成功への近道になることを示した。
まとめ〜法的文書DXを組織に根づかせるために
本イベントでは、法曹界の制度設計、公証実務のデジタル基盤、そして企業法務のオペレーションという三つの階層から法的文書DXの核心が語られた。共通して示されたのは、単なるツールの導入がゴールではなく、技術を信頼の礎とし、組織文化や人の意識を変革することの重要性である。その意味で、法的文書DXの本質は単なるデジタル置換ではなく、信頼とプロセスの再定義にあるといえる。まずは自社内に潜む「紙への依存」と「属人化している領域」を精緻に可視化し、価値の源泉となる領域から標準化を進めることが重要である。信頼性を担保する強固な認証基盤を土壌とし、現場が手応えを感じる「小さな成功」を積み上げることで、組織文化変革への道筋ができる。このような段階的な実装こそが、次世代の揺るぎない法務基盤を築く礎となることだろう。
落合 孝文
渥美坂井法律事務所・外国法共同事業 シニアパートナー弁護士
プロトタイプ政策研究所 所長
Takafumi Ochiai
慶應義塾大学理工学部卒。同大学院理工学研究科在学中に旧司法試験合格。森・濱田松本法律事務所での約9年の業務を経て現職。内閣府規制改革推進会議スタートアップ・イノベーション促進WG座長、内閣官房デジタル行財政改革会議政策参与(データ利活用制度担当)、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特別招聘教授。デジタル政策、AI・データ法制、フィンテック等が専門。
萩原 秀紀
日本公証人連合会 会長
Hideki Hagiwara
83年東京地方裁判所判事補に任官後、東京地方裁判所部総括判事、法務省人権擁護局長、金沢地方裁判所所長、名古屋家庭裁判所所長、東京高等裁判所部総括判事等を経て、19年8月に東京法務局所属公証人(霞ケ関公証役場)に任命される。その後、東京公証人会理事、副会長、さらに日本公証人連合会常務理事及び総括理事を経て、25年日本公証人連合会会長に就任。
多賀谷 健司
株式会社JERA 法務・秘書 統括部長
Kenji Tagaya
政府機関、国際機関等において法務や海外インフラ・資源プロジェクトファイナンスを経験した後、16年JERA入社。法務部門では、業務を効率的に運営するためのナレッジマネジメント、テクノロジー活用など、リーガルオペレーションにも積極的に取り組んできた。
ダリル・オーサチ
株式会社JERA 法務部リーガルオペレーション ユニット長・米国弁護士
Daryl Osuch
現在、株式会社JERAのリーガルオペレーション ユニット長を務める。ロースクール卒業後、刑事・民事業務に従事。その後、ウィルマーヘイル法律事務所に移籍し、主に訴訟、独占禁止法、内部調査に携わる。その後、ポール・ヘイスティングス法律事務所、EY Japanのフォレンジック部門を経て、JERAのリーガルオペレーション ユニットの設立にも携わった。
岩松 健史
アドビ株式会社 デジタルメディア事業統括本部 営業戦略部 ビジネスデベロップメントマネージャー
Kenji Iwamatsu
日本マイクロソフトにて、エンタープライズ企業向け営業部門におけるMicrosoft 365のスペシャリストを経て、19年アドビ入社。Adobe Document Cloud (Adobe Acrobat/Acrobat Sign)のスペシャリストとして、製品単体やシステム連携等のパートナーへの訴求活動を担当。